教会カレンダー
日本宣教の保護者聖フランシスコ・ザビエル司祭
第1朗読 コリントの信徒への手紙一 9章16~19、22~23節
福音朗読 マルコによる福音書 16章15~20節
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第1朗読 コリントの信徒への手紙一 9章16~19、22~23節
もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。
そうせずにはいられないことだからです。
福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。
自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。
しかし、強いられてするなら、それは、ゆだねられている務めなのです。
では、わたしの報酬とは何でしょうか。
それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、
福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。
わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。
できるだけ多くの人を得るためです。
弱い人に対しては、弱い人のようになりました。
弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。
何とかして何人かでも救うためです。
福音のためなら、わたしはどんなことでもします。
それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。
福音朗読 マルコによる福音書 16章15~20節
それから、イエスは言われた。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。
信じる者には次のようなしるしが伴う。
彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。
手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。
一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。
主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。〕
今日の朗読は9章16節から読まれますが、段落としては12節bから始まっています。
「福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです」(18節)と、「私はこの権利を用いませんでした」とが、囲まれている構成だからです。
権利とは何でしょうか。使徒は生活のために働くことなく、信徒たちの援助に頼れるということです。
パウロは、福音を無報酬で伝える理由をのべます。
パウロにとって福音宣教は、「そうせずにはいられないこと」、「ゆだねられている務め」だからです。
パウロの宣教への必然は、すべての人を救いに招く神のみ心であり、神からくる必然なのです。
「福音のためなら、わたしはどんなことでもします」とのパウロの言葉は、同じ志で生きた聖人として聖フランシスコ・ザビエル司祭の祝日である今日の朗読に、まさにふさわしいものです。
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「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」とイエスは、宣教の義務を命令した後、神を信じる人に固有のしるしを具体的に明示します。
それは、「悪霊を追い出すこと」と「新しい言葉を語る」です。これを行ってくださる方は、イエス・キリストに他なりません。
イエスは地上から天へと離れていきますが、イエスは宣教に派遣された弟子たちと共に働かれるのです。
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