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教会カレンダー

幼子殉教者

第1朗読 ヨハネの手紙一 1章5節~2章2節

福音朗読 マタイによる福音書 2章13~18節

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6世紀ごろから教会は、主の降誕の8日間中に聖なる幼子の殉教が祝ってきました。

イエスは「人を照らす光」(ヨハネ1.4)として来たのであり、「光は暗闇の中で輝きます」(1.5)。今日の朗読は、「神は光であり、神には闇が全くない」ことを知らせます。
しかし、光の中を歩むのではなく、闇の中を歩む人もいます。

「わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです」とヨハネは書いています。ヨハネがこう述べるのは、罪を犯しても「御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます」と。イエスは、「全世界の罪を償ういけにえです」と今日の朗読を閉じます。

ベツレヘムの幼子たちは、まだキリストをたたえることはできないとしても、主の降誕の恵みにより栄光を受け、あがなわれた人たちの初穂です。

* * * * * *

マタイによる福音書2章には3つのエピソードが語られていますが、その1番目は聖家族のエジプト避難です。2番目のエピソードが、ベツレヘム周辺の2歳以下の男子を皆殺しにしたことが書かれています。この記述はマタイのみが記しています。

なぜ、幼子が虐殺されるのか、この非道な行動をマタイはエレミヤの言葉(31.15)と結びつけています。マタイは「預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した」と書いているので、この出来事は預言の成就と言えます。

しかし、なぜ抵抗の力をもたない、しかも無実なものが抹殺されるのかという疑問は、だれにでも残ります。
同じことが、現代世界にも起こっています。
「罪のない幼子たちはキリストのために死にわたされた」(入祭唱より)

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第1朗読 ヨハネの手紙一 1章5節~2章2節

わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、
神は光であり、神には闇が全くないということです。
わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、
それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。

しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、
互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。

自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、
罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、
神の言葉はわたしたちの内にありません。

わたしの子たちよ、
これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。
たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。
この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、
全世界の罪を償ういけにえです。

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福音朗読 マタイによる福音書 2章13~18節

占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。
「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。
ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」

ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、
ヘロデが死ぬまでそこにいた。
それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。
そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。

こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
「ラマで声が聞こえた。
激しく嘆き悲しむ声だ。
ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、
子供たちがもういないから。」

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