教会カレンダー
無原罪の聖マリア
第1朗読 創世記 3章9~15、20節
第2朗読 エフェソの信徒への手紙 1章3~6、11~12節
福音朗読 ルカによる福音書 1章26~38節
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第1朗読 創世記 3章9~15、20節
主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
彼は答えた。
「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。
わたしは裸ですから。」
神は言われた。
「お前が裸であることを誰が告げたのか。
取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
アダムは答えた。
「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、
木から取って与えたので、食べました。」
主なる神は女に向かって言われた。
「何ということをしたのか。」
女は答えた。
「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
主なる神は、蛇に向かって言われた。
「このようなことをしたお前は
あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で
呪われるものとなった。
お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
わたしは敵意を置く。
彼はお前の頭を砕き
お前は彼のかかとを砕く。」
アダムは女をエバ(命)と名付けた。
彼女がすべて命あるものの母となったからである。
第2朗読 エフェソの信徒への手紙 1章3~6、11~12
わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。
神は、わたしたちをキリストにおいて、
天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、
御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、
キリストにおいてお選びになりました。
イエス・キリストによって神の子にしようと、
御心のままに前もってお定めになったのです。
神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、
わたしたちがたたえるためです。
キリストにおいてわたしたちは、
御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、
約束されたものの相続者とされました。
それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、
神の栄光をたたえるためです。
福音朗読 ルカによる福音書 1章26~38節
六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。 そのおとめの名はマリアといった。
天使は、彼女のところに来て言った。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
すると、天使は言った。
「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。
神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
マリアは天使に言った。
「どうして、そのようなことがありえましょうか。
わたしは男の人を知りませんのに。」
天使は答えた。
「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。
だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。
不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
神にできないことは何一つない。」
マリアは言った。
わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」
そこで、天使は去って行った。
マリアは神の特別な恵みによって、その存在の最初からあらゆる罪から守られていました。これは、マリアが神の母であることに基づいています。
教会は、初代からイエスの母マリアに対する信仰の本質を「神の母マリア」として表現してきました。しかし、キリスト者がこの神髄を深めていくには長い年月が必要でした。
聖イレネウスは、マリアを「新しいエワ」と呼んで、マリアの無原罪の御宿り(おんやどり)をすでに感じ取っていました。
11世紀、イギリスで、アンセルモにより無原罪のマリアが祝われるようになり、やがて、それはイタリアに伝わり、教皇ピオ9世はこれをキリスト者が守る教えとして宣言しました。
フランス、ルルドで聖ベルナルデッタにご出現になったマリアは、ご自分を「無原罪の御宿り」と言われました。
マリアこそ、神の子イエスの誕生のために身をもって待降節を生きられ、準備された方です。
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教会は、典礼の中で、御子キリストの神秘に合わせて、キリストの母マリアを記念することができるように配慮しています。
待降節中に祝うマリアの「無原罪の御宿り」の祝日もそのひとつです。この日教会は、無原罪の御宿りの聖母を祝うと同時に、また救い主の到来と、汚れもしわもない教会の喜ばしい誕生を準備する意味をもかねあわせて祝います。
12月17日から24日までの期間、とりわけ、クリスマス直前の主日における典礼のなかで処女である母と救い主に関する、旧約の昔から告げられている預言が回想されます。
キリスト者は、典礼のなかで待降節の精神を生き、処女である母が御子の誕生を望みながら抱いていた、言い尽くしがたい愛について思いめぐらします。
信徒は、マリアを模範として仰ぎ、やがて降誕する救い主を受けいれる準備を整えるように招かれています。
待降節は、主の母に対する信心に特にふさわしい時期であると見なされています。
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今日、教会は聖書朗読をとおして、荘厳な救いの歴史の流れ全体を私たちの前に繰り広げます。
つまり、第1朗読では救いのご計画のはじめともいうべき、創世記が読まれます。創世記の冒頭に述べられている神の救いの約束からはじまっています。
第2朗読では、神の救いの完成への賛美、その中心を占めるイエス・キリストの出来事について書かれている箇所、エフェソの冒頭が読まれます。新共同訳聖書では、「神の恵みはキリストにおいて満ちあふれる」というタイトルが付けられています。
福音書では、神の母マリアへのお告げが天使によってもたらされます。
救いの歴史の中で、神、または神から遣わされた預言者によって、子どもの誕生が告げられることは、救いの歴史が新しい局面を迎えることを意味します。今回の場合は、それが恵まれた女性マリアによって行われます。
神の救いのご計画には、女性が登場します。 創世記では、エバ(命)、福音書では、恵みに満たされたマリア、救いの完成ではキリストの花嫁である教会です。
教会は、神の恵みの絶対性を、マリアの御宿りのうちに宣言しました。
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マリアは、いつの時代にも、どこでも愛された聖母マリア、「平和の君 イエス」を生んだ方、「平和の女王」です。
12月8日は、もうひとつの顔をもっています。
今日は、何の日かご存じでしょうか。
半世紀以上も前になる1941年、日本がハワイの真珠湾などを攻撃して太平洋戦争がぼっ発した日です。この日はもう、戦後世代の人たちには、ほとんど意味をもたない日となっているのではないでしょうか。
あの日、開戦を伝えた新聞に、「帝国・米英に宣戦を布告す」、「平和の希望ついに空(むな)し」と書かれてありました。その時から70年たった今、世界は戦争とも呼べるあらたな動きにのみこまれました。
平和の女王であるマリアに、この世界の平和のために取り次いでいただきましょう。
祈り
救いの源である父よ、
あなたは、おとめマリアを御子のふさわしい母とするために、
初めから罪の汚れのないものとしてくださいました。
聖マリアの取り次ぎを求めて祈ります。
御子の十字架の恵みによって、聖マリアがすべての汚れを免れたように、
私も清いものとなり、あなたのもとに近づくことができますように。
集会祈願より
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