聖人カレンダー
8月25日 聖ヨセフ・カラサンス司祭
1557年-1648年
ヨセフ・カラサンスは、1557年スペインのペラルタ・デ・ラ・サルで、7人兄弟の末っ子として生まれた。 彼は大学で法学と神学を学び、26歳のとき司祭となった。バルセロナ大学で法学と神学の博士号を取得した彼は、ローマに行った。彼は貧しい子どもたちが学校に行くことができず、町に放置されているのを目にして、心を痛めた。彼らへの教育の必要性を感じたヨセフは、何人かの同志たちと無報酬で学校を始めた。子どもたちが増え、大きな建物が必要になったとき、教皇クレメント8世(在位1592-1605)が援助し、その援助は教皇パウロ5世(在位1605-1621) のときまで続いた。しだいにヨセフと同じ志を持つ青年たちが集まり、ヨセフは1600年に「エスコラピオス修道会」を創立し、彼は初代総長となった。
しかし、貧しい人々への教育に対する人々の無理解や偏見がヨセフを苦しめた。当時、学問は貴族や裕福な人々のものであると考えられていたからである。彼は、「すべての人々が幸福になるためには、それぞれに与えられた才能を伸ばすことが大切であり、そのために教育が必要である」ことを訴えた。また、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイはヨセフの友人で、科学が神の考えと矛盾しないと信じていた彼は、ガリレオの研究を手伝った。教会の中で地動説に反対する人がほとんどだったため、人々は衝撃を受け、修道会も分裂していった。
同志であったマリオ・ソッツィ神父は、ヨセフが総長としてふさわしくないと主張し、ヨセフは後退し、マリオ神父が総長となった。マリオ神父の後継者である、ケルビニ神父もヨセフを認めず、2人が和解したのは、1648年ケルビニ神父が臨終の床に伏しているときであった。ヨセフは人々の無理解に苦しんだが、「正しいことは正しい」と言う勇気を持った彼は、多くの人から尊敬された。1648年8月25日に彼は亡くなったが、その死後、共同体は再構築され、1669年修道会として再び歩みを始めた。
ヨセフは1767年、教皇クレメンス13世によって、聖人の位に上げられた。
日本では、東京、横浜、京都にエスコラピオス修道会があり、幼児、青少年の教育に携わっている。