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はじめての『旧約聖書』
第6回 太祖物語(1)
創世記12章から終わりの50章までは、アブラハム、イサク、ヤコブの物語が展開されます。彼らは、イスラエルの民の祖先で、「太祖」と呼ばれています。
ポイントを見ていきましょう。
12章 アブラム(アブラハム)の召命
12.1~3: | 「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。」 |
12章は、アブラムに対する神の呼びかけからはじまります。
「生まれ故郷 父の家を離れ」これは、あらゆる保護を失うことを意味しています。行くべき土地の名前が示されているわけではありません。「わたしが示す地」つまり、神がお示しになる地がどこなのか、アブラムにはまったくわかりませんでした。アブラムは、すべてを神にゆだねるしかなかったのです。
神はアブラムに、「わたしの示す地に行きなさい」という、一つの命令をくだします。それには、5つの約束が伴っています。
アブラムが神の命令に従って行けば、
* あなたを大いなる国民にする
* あなたの名を高める
* あなたを祝福の源とする
* あなたを祝福する人はわたしを祝福し、
あなたを呪う者はわたしを呪う
* 地上の氏族のすべては、あなたによって祝福に入る
「わたしの示す地に行きなさい」という神の命令は、また神の招きでもあります。
アブラハムの召命によって、神の祝福が万民に及ぶようになります。神がある人を僕(しもべ)として選ばれるとき、祝福はその人だけにとどまりません。
アブラハム
12.4:「アブラムは、ハランを出発したとき75歳であった。」
アブラムが、どこへ連れて行かれるのかもわからずに、故郷を出発したのは、75歳のときでした。大変な勇気が必要だったことでしょう。
12.9:「アブラムは旅を続け、ネゲブ地方へ移った。」
ネゲブ地方は、荒れ地です。この地にさらに飢饉が重なり、彼らはエジプトへと移動しなければなりませんでした。
12.10~20:
エジプトでの滞在が語られます。祝福の源となるアブラムですから、それにふさわしく生きなくてはなりません。使命を裏切ることや道をはずれることを行えば、他に災いを及ぼします。神は、人間をとおして祝福をお与えになります。J伝承のテーマは、「祝福」です。
14章
アブラハムの物語に、突然、別の話が入ってきます。おそらくエルサレムに伝えられた別の伝承です。この伝承がここに組み込まれたとき、エルサレムはすでにアブラハムの子孫の聖都となっており、エルサレムが、アブラハムと無縁ではなかったと言いたいために、この話は入れられたのでしょう。
アブラハムが、戦士の姿として出てくるのは、ここだけです。
15章
神は、子孫について約束なさいます。
15.12:「深い眠りに襲われた。」
通常の睡眠のことではありません。アダムを「深い眠りに落とし」て、エバを創造された(創世記2章21節)ときのような、脱魂状態といえるでしょう。これは、神が一方的にしてくださった契約であることを意味します。
15.17:「燃える松明が2つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。」
燃える火は、神のシンボルです。契約のときの、2つに裂いた動物の間を通るこの行為は、もしそれを破ったら、こうなってもいいということを意味します。ここでは、神だけが裂かれた動物の間を通られました。これは、神が責任をすべて担ってくださることを意味しています。
16章 イスマエルの誕生
アブラムの妻サライは、自分の奴隷を夫に与えて、自分の代わりに後継ぎを得ようとします。奴隷にとっては辛い話ですが、当時の習慣でした。
こうして、イスマエルが生まれます。
しかし、神の祝福はイスマエルによってではなく、サライが生むべき一人子によって与えられる約束なのです。
17章
アブラムもサライも年老いて、人間的にはもう子どもをもつ希望がまったく絶えたときになって、ただ「恵みによる」子は誕生するでしょう。(人間的には望みがなく、神の恵みによってのみ生まれる子、というテーマは、他にも見られますが、その最たるものは、処女マリアからお生まれになるイエスです。)
この約束とともに2人には、新しい名が与えられます。
アブラム → アブラハム
サライ → サラ
名前は、そのものの本質を表すと考えられ、新しい名を与えられることは、新しい使命に召されることでした。
また、このときの契約のしるしは、割礼でした。
18章~
マムレにおける主の出現と、それに続く話は、アブラハムの人となりを表すとても美しい物語になっています。
21章 イサクの誕生とイスマエルの追放など。
22章 アブラハムの信仰の最大の試練
この話は、E伝承です。アブラハムは、神にイサクをささげます。古代人の間では、最も貴重なものとして、自分の子をいけにえにすることは、珍しくありませんでした。ユダヤの聖書解釈では、イサクはこのとき、すでに大人になっていました。自覚して、自分を神にささげたのです。心で一度死にました。これは、キリストの死につながっていきます。
モリヤの山は、後にソロモンがエルサレム神殿を建てる丘です。
アブラハムの信仰に応えて、神はふたたび、アブラハムへの祝福と、子孫によるすべての民の祝福を約束されます。
23章 ヘブロンに土地を買う。
サラの死と埋葬の話で、この話はP伝承です。アブラハムはカナン人から土地を買って、妻を葬りました。約束の地の最初の取得です。後に、アブラハム自身もここに葬られ、ヘブロンは今も、ユダヤ人、アラブ人にとって聖なる町となっています。
24章 イサクの結婚物語。
アブラハムは故郷のメソポタミアまでしもべをつかわして、同族の中からイサクの嫁を迎えます。リベカです。
25章 アブラハムの死。
神がアブラハムにされた約束の継承者はイサクですが、25章のはじめに、アブラハムには、イスマエルのほかにも傍系の子孫があったという伝承が記されています。
以下のイサクの話は簡潔で、すぐに彼の息子、双子のヤコブとエサウの物語に入っていきます。
27章 ヤコブが父イサクをだまし、エサウの長子権を奪う物語。
盲目の父をだますヤコブの話は、不快に感じられます。そのためか、著者はここで、エサウが異民族の妻をめとったことと、一皿の煮豆のためにみずから長子権を売ったことを記して、ヤコブのために弁明しているようです。
こうして、結局ヤコブに祝福が継承されることは神の摂理であったと、著者は言いたいのでしょう。
28~30章 ヤコブは兄の復讐を恐れ、母リベカの故郷に身を避けます。
滞在は思いのほか長びき、結局ここでヤコブは2人の妻をめとり、12人の息子をもうけることになりました。
これが、イスラエルの十二部族の先祖です。
31章
しかし、いくら母の故郷で、多くの財をなしたとはいえ、ヤコブの帰るべき所は、神の「約束の地」以外にありません。彼は、妻子と多くの家畜を連れて、兄を恐れつつも出発します。
32~36章
32章23節からは、帰国の途上で現れた不思議な人との夜を徹した格闘が語られます。夜明けになって、この人はヤコブを祝福し、彼に新しい名を与えました。
「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。」
伝承は、この名の意味を「神および人と争って勝つ」と説明しています。
ヤコブはその人に名を尋ねますが、その人は、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言うだけです。
先に、名はそのものの本質を表すと申しあげました。そして本質を知ることは、そのものを支配することになります。だから、人は決して神の御名を知ることはできません。そこでユダヤ人は、御名の代わりにただ「主」とお呼びするのです。
このあと、ヤコブと兄エサウの和解の話があり、傍系としてのエサウの系図で、36章が終わります。
37章~
37章からは、ヤコブの最愛の子ヨセフの物語に移って、「イスラエルの民がどのようにしてエジプトに行ったか」を説明する話となっています。
後年の、エジプト脱出の前物語なのです。