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女子パウロ会ニュース
長い間、病気と闘ったSr.又川
2010/08/31
8月27日5時29分、Sr.マリア・アルバ又川原子(またがわ もとこ)が、平塚の病院で亡くなりました。83歳でした。彼女の修道生活は、病からくる痛みとの戦いの生活だったと言えます。
* * * * * * *Sr.マリア・アルバ又川は、1952年2月6日に、大阪支部に入会しました。洗礼を受けてから一年しか経ていませんでした。1955年に初誓願を宣立し、その後、東京、高松、仙台、名古屋、鹿児島の各共同体で家庭宣教と団体宣教、料理の使徒職に献身しました。Sr.又川は、学ぶという能力にすぐれており、生活と経験から学び、また、歴史が大好きで、歴史から学んでいました。
1972年から20年以上は、修道会の防災担当者として、共同体のために奉仕しました。危険物取扱者の資格を取り、ボイラーの管理をしていました。また、防災の責任者でもあり、港区や消防署で行う研修会に熱心に参加し、共同体を指導していました。
Sr.又川は若いときからリウマチを病んでいました。強い痛みにおそわれ、耐えなければならないときもありました。この痛みは、手、首、足、腰そして全身にまで及び、頻繁に病院に入院しなければなりませんでした。このような苦しみと不自由な動きの中で、群馬県の高崎教会の展示即売を担当し、年に数回訪問していました。運転手として一緒に高崎教会を訪問していたシスターは、彼女がいろいろと工夫して、自分にできる範囲で、熱心に準備していた姿を、いつも尊敬していたと、当時を思い出し涙していました。
Sr.又川の体は次第に不自由となり、電動車いすを使うようになりました。運動神経が発達していたのでしょう、東京修道院から平塚支部に異動した彼女が、電動車いすを器用に使いこなし、聖堂の狭いイスの間をスイスイと動いた姿を思い出します。
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2004年、廊下で転倒して昏睡状態となりました。手術が行われ成功しましたが、脳の左の部分が冒され、その後はあらゆるコミュニケーションができなくなりました。体を動かすことも、コミュニケーションすることもまったくできない状態で、5年間を過ごしました。
修道生活の間の、痛みと意志を表現することができないという長い苦しみの間に、どんなに大きな犠牲をささげていたことでしょう。棺の中の彼女は、とても小さくなっていましたが、小さな子どもが、ぐっすりと眠っているようでした。天の父が、Sr.又川の大きな犠牲を受け取り、たくさんの報いをお与えくださいますように。