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イタリア語をとおして活躍したSr.貝原が天国へ

2017.10.15


Sr.貝原

Sr.マリア・パオラ貝原敬子が、長い療養生活の後、10月12日午前4時50分に、脳梗塞のため天国に召されました。85歳でした。

シスター貝原は福岡県で生まれました。幼いころ、友だちと遊びながら目に飛び込んできた赤レンガの塔と十字架に惹かれ、キリスト者になりたいと決心しました。大人になってから、友人の誘いでそのカトリック教会の門をくぐりました。同時に、クリスマスにオルガンを弾く人を探していた福岡の聖パウロ女子修道会に通い始め、そこでカトリック要理を勉強し洗礼を受けました。

1960年に初誓願を宣立するとすぐ、ローマに派遣され養成を受けました。1966年に帰国し、長崎で半年ほど使徒職をした後、東京で入会する準備をしている若い人々の養成に携わりました。1971年からは、東京で単行本編集などに携わり、1974年~1978年には管区顧問を務め、そのうち2年間は終生誓願準備の養成も担当しています。1978年からは「教えの手帖」編集実務や翻訳に携わり、総長管区長会事務局員や横浜教区の福音宣教全国会議準備委員としても修道会の外でも貢献しました。

1991年、59歳のとき再びローマに赴き、カリスマ国際研修会に参加しました。翌1992年~1996年、ラジオ・バチカン日本語課でラジオによる宣教に尽力しました。1997年に帰国してからは、東京で日本カトリック宣教研究所に嘱託として勤務し、その後は中央協議会で翻訳に協力しました。

Sr.貝原 Sr.貝原


Sr.貝原 Sr.貝原


Sr.貝原 Sr.貝原
出 棺 斎場で、最後のお別れの祈り


Sr.貝原は几帳面な姉妹で、物事にていねいに取り組んでいました。2005年に子宮癌が見つかり、手術を受けました。その後は、両足の静脈血栓症で歩くことが困難になり、長い療養生活がはじまりました。施設で過ごすことになりましたが、いつも変わらない機知に富んだ言葉と態度で、見舞う姉妹に接していました。

イタリア語をとおして貢献したSr.貝原は、今は御父のみもとで安らかにい憩っていることでしょう。


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