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女子パウロ会ニュース
大きな歌声に送られて天国へ Sr.牧山キクノ
2019.10.23
長い間、点字の使徒職に貢献したSr.マリア・ロザリア牧山キクノが、10月19日、肝細胞癌のため、東海大学大磯病院で84歳の生涯を終え、帰天いたしました。
Sr.ロザリア牧山は、佐賀県馬渡島の信仰篤いご家庭に生まれました。1950年10月6日、ロザリオの聖母の祝日に入会しました。15歳のときでした。修道会来日から2年後の1950年に最初の支部として福岡修道院が誕生しましたが、その召命第一号がSr.ロザリア牧山でした。入会の日を、彼女はこのように思い出しています。
「この日は大嵐で、船は欠航するかもしれないと思いました。家族は出発を延ばすよう勧めたのですが、この日入会しないと召命をなくすような気がして、どうしても出発すると言い張りました。船は大揺れに揺れ、海水が入ってくるし、恐怖の旅でしたが、夕刻無事福岡に着きました。…(やっとたどり着いた)修道院は小さくて、玄関の横の2畳ほどの部屋は物置でしたが、そこがわたしの部屋に当てられました。荷物を置くと夕食で、スパゲッティとぶどう酒で祝ってくださいました。貧しい中にも、シスターたちは最高の祝宴を準備して迎えてくださったのです」。
終生誓願宣立の後、1960年~1986年まで、東京で製本所やタイプなど、技術の使徒職に携わり、またこの間10年以上、教理部でも働きかれました。その後3年ほど長崎の書院で宣教した後、1989年~2014年の25年間は、神戸と園田修道院で視聴覚障がい者のための使徒職に携わりました。ボランティアの方がたの協力を得て、単行本と月刊誌「あけぼの」の点訳・音訳、また音訳テープの編集、発送などにあたりました。
1969年、東京の製本所で働いていたときの、Sr.ロザリア牧山は、次のように書いています。
「わたしと機械とのおつきあいは、もうそろそろ20年になります。製本所にある、たいていの機械は手がけてきましたし、機械の気持ちも分かるような気がします。機械は“みことば”を伝えるための大切な道具であり、わたしたちの身近な仲間と言うことができます。わたしたちの働きは、そのまま祈りであり宣教です。白い紙に印刷されていく一字一字が、“みことば”を宣べ伝えたい望みにかられている者と“みことば”を求めている無数の人びととを結ぶメッセンジャーなのだ、という確信がわたしたちを使徒にするのです。すべての注意力を集中して、機械とわたしが一体となって神に仕える真剣な充実した時間――ここには悪魔の入り込む余地はありません」。
このような姿勢で、Sr.ロザリアは、宣教の道すがら出会ったたくさんの協力者、そして様々な手段とご自分を結び合わせながら、皆の力を合わせてみことばを伝えること、神と人との出会いを実現することに献身して来られました。健康の衰えとともに、2014年に平塚修道院に異動し、2015年からは施設で、祈りと療養の時を過ごしました。ロザリオの祈りをこよなく愛し、感謝のうちに聖母への祈りをいつでも唱えていました。
Sr.牧山は歌が大好きで、現役時代は、ミサのときのオルガン伴奏や聖歌の練習指導をしていました。葬儀ミサでは、ご遺族の方々が大きな声で聖歌を歌ってくださり、歌が大好きなSr.牧山を天国へと送り出しているように感じられました。神さまのそばで、大きな声で聖歌を歌っていることでしょう。