home>女子パウロ会とは?>女子パウロ会ニュース>粘り強い編集者だったSr.大岩一美が天国へ

女子パウロ会ニュース

バックナンバー

粘り強い編集者だったSr.大岩一美が天国へ

2024.11.01


Sr.大岩一美

Sr.大岩の死は、信じられないくらいの突然のことでした。10月26日の午前中、Sr.大岩は共同体のシスターたちと分かち合いをしていました。Sr.大岩の手から紙がすべり落ちたので、隣にいたシスターが拾って渡そうとしたときには、すでに意識がありませんでした。救急車で病院に搬送されたのですが、止まった心臓は再び動きませんでした。その場で分かち合いをしていたシスターたちはもちろん、仕事仲間の単行本編集部のシスターたちも、修道会全体がショックを受けました。

シスター大岩は、86歳という高齢ですが、現役で単行本編編集の仕事をしています。シスター大岩が担当していた新しい単行本の原稿が印刷工場に入り、後は完成を待つだけの状態となっていました。聖堂前には、その本の表紙と校正紙が並べられました。葬儀ミサの司式は、Sr.大岩が担当して何冊かの本を出版した晴佐久昌英神父(東京教区司祭)でした。晴佐久神父は、粘り強く、毎週、晴佐久神父のもとに通ったSr.大岩の宣教者魂をたたえました。なんと20年のお付き合いになるのだそうです。


Sr.大岩一美
聖堂前に転じされた新しい本の見本


Sr.大岩一美
新しい本の見本


Sr.大岩一美
葬儀ミサ


Sr.大岩一美
葬儀ミサ 献香


Sr.大岩一美
葬儀ミサ


Sr.大岩一美
説教する晴佐久神父


シスター大岩は、1938年、愛知県で生まれました。武蔵野音楽大学を卒業し、入会前は音楽教師を務められました。25歳のとき、1963年の聖女テクラの記念日に名古屋で洗礼を受け、1年半後の1965年1月に名古屋支部に入会しました。養成期を経て、1969年6月30日に初誓願、1976年6月30日に終生誓願を宣立しています。有期誓願期中は東京と長崎で おもに家庭宣教に励み、終生誓願宣立後は1976年~1989年まで「あけぼの」編集部に派遣され、最後の6年余りは編集長を務めました。その後、2年ほどイタリアで語学を学び、帰国してからは視聴覚制作部、宣教センターDMでの宣教を経て、1993年から5年余りは平塚修道院で、翻訳と典礼用品の使徒職に携わりました。1999年~2002年は、札幌修道院で院長を務め、その後、2002年から現在まで、東京で単行本編集部の使徒職に携わりました。共同体では、オルガニストとして、シスターたちの歌唱指導やミサや祈りの伴奏で奉仕しました。

シスター大岩は、終生誓願宣立を願い出るときに、次のように書いておられます。「……私は全身全霊をあげて私の存在を神に奉献し、マスコミの福音宣教に力を注ぐ使命を負っています。創立者のビジョンにそって、弱い私ですが、なんとか完成に向かって生きようと努力しています。神がこの修道会のうちに始められたすぐれたわざ、その一員として私の内にも始めてくださったわざを、ついには完成してくださるのだ、という強い信仰の上に立って、完成に向かって前進していきたいと思います」。いま、シスター大岩の人生をふり返るとき、この精神が彼女の中に生き続けていたことが感じられます。


Sr.大岩一美
誓願50周年(2019)のときのSr.大岩(右から2人目)


Sr.大岩の使徒的熱意が、豊かな実りを結びますように。


▲ページのトップへ