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シスターテクラ・メルロ
第7回 着実な発展
「マエストラ・テクラの傍にいると、どんな印象を受けますか?」 ある日、アルベリオーネ神父は、テレサ・ラバッロに尋ねました。彼女は「聖人伝を読んでいるような感じがして、自分もいい子になるような印象です」と答えたのでした。
そのころ彼女はアルバに戻り、創立者が聖パウロ広場に面して建てた新しい場所に移り住みました。彼女のみずみずしさ、愛情、一人ひとりに対する尊敬の心は、いち早く、みんなの敬慕と愛の的となりました。こうして彼女の周りに、使徒的理想を目指して一致した共同体が形成されていきました。そして彼女は、深い責任感をもって、受けた任務に伴う自分の義務を一つひとつ身に帯びていくのでした。召命を受け入れ、その一人ひとりに母の心遣いをすること、勉学と使徒職の組織化、そして修道院の経営と統治などが。
より準備ができた会員に、養成グループの世話と各種の活動を委ねる一方、彼女はつねに、祈りの精神と労働と犠牲において休むひまなく、潜心しながら敏速にリーダーシップをとっていました。「彼女の傍らで生きることは、本当によい模範と喜びの学び舎にいることでした」と、年配の姉妹たちは証言しています。
1923年から1930年の間は、修道会はいろいろな面で徐々に進歩していった時期です。使徒職の組織……出版物の印刷と製本が着実に進歩し続けました。
しかし何よりも、パウロ的修道生活を具体的に身につけていったことはすばらしい進歩でした。その生活は道・真理・いのちである師イエスへの日々の礼拝、聖書の勉学と黙想、創立者とパウロ会司祭の指導によって養われていきました。
アルベリオーネ神父は、教会権威による「聖パウロの娘=聖パウロ女子修道会」の認可の申請をしていましたが、それは遅れていました。教会の中で全く新しい使徒職をする女子修道家族として取りざたされていたのです。ようやく1929年3月15日、アルバの司教は、修道会の新設を宣言する「法令」を発布し、マエストラ・テクラが、「プリマ・マエストラ(第1の先生)」の肩書をもって、総長の役職に任じられることを承認したのです。
アルベリオーネ神父に与えられた肩書「プリモ・マエストロ(第1の先生の男性名詞)」と同じです。その時からこのグループは、志願者、修練者、立誓者(誓願を立てた者)という構成メンバーを持つ修道会となり、その全生活と使命は、独特の顔を持つようになったのです。
その少しまえ、修道服の着衣という初めての大きな出来事がありました。この修道服はマエストラ・テクラが自ら考えたもので、単純な黒い服に白いコレット(えり)、胸に徽章、腰にロザリオ、頭には白いボルディーノ(縁かがり)をのぞかせた絹のベールをつけています。こうして彼女たちはもっと修道女らしく、もっと宣教者らしくなったように感じ、聖パウロのようにすべての人に福音を伝えるため、伝道旅行に旅立ちたいとの思いに胸をはずませたのでした。
その同じ年、1929年の夏、彼女たちは最初の家庭訪問による宣教の体験を始めました。この宣教体験は次第に強化されてゆき、近くの村や町に、そしてさらにイタリー内外の辺ぴなところにまで、神のみことばを運ぶ単純で熱心な聖パウロの娘たちの姿が見られるようになったのです。