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どうしてシスターに?
シスター マリア・ヴィジタシオン 浅井則子
家族の奉献
修練者のころ、ある神父様が「あなたたちは修道院に入り、殉教したようなつもりかもしれないが、殉教しているのは親ですよ」と話されたことがわたしの心に残っています。
修道院に入るまでの一年間、このことを祖母にいつ話そうかと悩みながら過ごしていました。月に一度、祖母のもとに帰っていたのですが、祖母の顔を見ると話し出せずにいました。会社に退職願いを提出する時期になり、話すことを決心し、秋祭りに帰りました。
祖母は、キリスト教が外国の宗教ということが分かるくらいの人でしたが、わたしがカトリックの洗礼を受けるときには、信仰は自由だからとゆるしてくれました。その祖母に修道院に行くと言っても、どんな所で、何をするのか想像もつかないと思うと、どう言えばよいのかと悩みました。
二人で夕食を済ませ、わたしは祖母に「話があるの」と切りだし、「年が明けたら、尼寺のような所に行きたいの……」と言うのがやっとでした。祖母はその言葉を聞くと「どうしてそんな所に」と言って泣き出し、わたしもなにも説明できずに泣くだけでした。そして、心の中で「どうしてこんな苦しい思いをさせるのですか」とイエス様に叫んでいました。翌日そのことに何もふれないまま、下宿に帰りました。
祖母は普段から、親は子供のためにずっと生きられるわけではないから、自分がいいと思う道を生きたらいいと言うのが口癖の人でした。ですから、このことも結果的には相談というより、わたしは自分の道をこうしますと伝えたにすぎなかったのです。田舎ですので、親戚の人に修道院に入る事がわかれば大変なことになるため、祖母は相談もできず一人で耐えていました。
祖母もわたしも乗り越えられないと思えた時を、イエス様はご自分の道を示しながら導いてくださいました。入会のことを思うたびに家族に心から感謝しています。