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どうしてシスターに?
シスター マリア・アウレリア 胡元稚笑子
洗礼の喜びを多くの人に
生まれる前から、名前は祖母と同じ「チエ」と決まっていた。よくある名前だから「字」だけでも素敵にと、兄二人が「チ」と「エ」の一覧表をつくり、稚(おさなくして)笑う子と選んで、胡元稚笑子(えびすもとちえこ)と命名された。家族は手をたたいて喜んだと何回も聞かされたが、満足に書ける人も読める人もいなかった。「今度の先生も名前読めなくて、申し訳ないよ」学校から帰ると、父の背中をいつもたたいていた。「広島ではな、胡町があって毎年大きな祭もあるし、胡丸と言って船にもつけるおめでたい良い名前、稚笑子だって日本一」と、父は末娘にやさしかった。「稚笑ちゃん、お嫁に行くとね、名前変わるから」と隣のおばさん。「ホント? わたしいいお嫁さんになるから」とお茶にお花に、和裁、洋裁にと首を突っ込み、未来の嫁ぎ先の両親のためにと、殊勝な心でマッサージも習った。ある日、お茶やお花で良いお嫁さんになれるはずもない、とふと気がついて精神修養第一と16歳で教会に通った。
「家族にどんなに反対されても、20歳になったらもう成人、許しがなくても洗礼を受けてもいいですよ」とシスターに言っていただいて、その日を心待ちにしていた。求道者の期間が4年ほど続いていたので、カトリック新聞は、18歳のころから読んでいた。当時の信仰教育は、公教要理が主体で信仰と、日常の生活の本質を、メリノール会のシスターにしっかりと導いていただいた。
「新しい人になる」にふさわしく、靴から帽子にいたるまで新調して、1954年クリスマスに受洗した。うれしくて、うれしくて、わたしの心は喜び踊る。言葉では言い表せない喜びに満ちあふれ、この日を思うと今も心が弾む。この喜びを分かち合いたい。明治、大正を慎ましく生きたおとなたちの中で育ったわたしは、「近所も家族」と何でも分かち合った母の体質を受けて、洗礼の喜びを自分だけでとどめておくことはできなかった。
「神様、喜びを分かち合うため、わたしにどんな生き方をお望みですか? 」と日夜問い続け、洗礼はわたしの生き方を180度変えた。波乱万丈のドラマを期待されて、「なぜ修道院に? 」と問われ、「洗礼の喜びを分かち合いたかったから」と答えると「ただそれだけ・・・」とけげんな顔。もちろんドラマがなかったはずはない。育て方に責任があると肩を落とした家族、地上から消えてしまいたいと願うほど厳しい日々もあった。力尽きたとき、洗礼の喜びに帰り、そこで神に触れ、癒され、新たに出発した。
法事で家に帰ったとき、80歳になるお風呂屋のおばさんに出会った。「稚笑ちゃんが修道院に行くとき隣組みんな反対してごめんね。今、稚笑ちゃんが一番幸せ」と母のような言葉をかけてくださった。名前も変わらず、良いお嫁さんにもならなかったけれど、人と出会えば出会うほど、喜びを分かち合っていただいているのはわたしのほうだ、と心から感謝して、「今」を生きている。