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どうしてシスターに?

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シスター マリア・レジーナ 稲垣和子

イエスのみちびき

シスター稲垣

戦後の貧しい生活、教育理念も変わり気がついてみると人生の岐路に立っていた。そのころ、わたしは銀行に勤めていた。そして忘れられない思い出があった。

学生時代に、川向こうの「神言会修道院」にクラスのみんなで行った。美しい聖堂、広いぶどう畑、その間を読書しながら神父様が行き来し、祈っておられる美しい光景に、あっ! と驚いた。このことが、心に焼きついた。その後、心の貧しさの中でそれを、もう一度蘇らせた。そして、教会の門をたたき、勉強をはじめることにした。これが信仰生活のはじまりだった。

週に1、2回、隣町にある教会に勉強に行き、帰りはきまって大聖堂で祈った。小祭壇は、十字架の道行きの一留ずつでさえぎられていた。ここで祈っていると、6時に鐘が鳴り、10名ほどのブラザーの祈りがはじまる。最後に歌うマリアの賛歌がとても美しく、心に平安と何かひかれるものがあり、わたしもラテン語で小祭壇のかげで一緒に歌っていた。

勉強と祈りを重ねているうちに、「わたしも修道生活がしたい! 愛や恵みは受けるだけではなく、世のため、人のために働くことによって、キリスト様の十字架のお苦しみの道を知りたい!」深い意味はわからなかったが、賛美の祈りはマリアの招きのように感じた。これが召命のはじまりだった。

洗礼の恵みをいただいたすぐ後、神父様に修道院に入りたい旨お話したところ、聖霊会のシスターが神言会で働いておられるので相談するように勧められた。それからシスターの手伝いをすることになった。

その後しばらくして、教会の書棚に『女子修道会入会案内書』という本が目にとまり、なんとなく聖パウロ女子修道会に手紙を出したら「来てごらんなさい」とお返事をいただいた。その時のよろこび! そして修道生活に導かれた。

わたしたちの生涯に偶然はなく、すべて神様のおはからいにちがいない。神様は、いろいろな出来事をとおして導いてくれる。目にみえないみ手に導かれて、今があるように思う。神に感謝!


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