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どうしてシスターに?
シスター マリア・テレジア 金井照子
ただひたすら、神の導きによって
教師をしていた父は最後の一年間、カトリック校に勤務していた。私の命がこの時期に宿ったのを知ったのは、父の遺品からである。しかし神の側からは、「私はあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。・・・」(エレミア書 1.5)ことになる。
長崎は、今も教会とお寺、神社が共存している。私の家は浄土真宗だった。私をカトリックの幼稚園に通わせた両親の望みはわからないが、「マリアさ~ま、お手て~合わせて~」と歌った聖歌や聖堂でのお祈りは幼くも私の心に確実にしみこんでいった。
そして、公立高校の受験に失敗した私は、補欠入学の通知を受け、ミッションスクールで学ぶことになる。この時の補欠入学が神の補導であった、と今にして思う。修道院の門をたたくところまで導かれてしまったのだから。
時を経て、20代の後半、私は新幹線の食堂で背後から、「先生、私にコーヒーをおごらせてください」と思いもかけない人から声をかけられた。彼は一見してわかるその道の「怖い人」であった。ひるむ私に彼は意外にも、「教会は誰でもいれてくれるのでしょうか・・・お祈りをしに行ってもいいのでしょうか・・・」とソフトに問いかけてきた。私の修道服を見てのことであろうか。けれども私はそっけなかった。席に戻りながら「祈りたい!」という彼の思いが私の心をとらえ、東京駅の混雑さの中で私はやっと彼を捜しあて、修道院の住所と電話、私の名前を書いたメモをおずおずと手渡した。
それから、13年の年月が流れ、出所してきた彼は家族と子分を連れて、赤坂の修道院の聖堂を訪れた。大親分(イエス)の前で念願の祈りをささげる彼の姿は輝いていた。数年後、その親分は神のもとに召されていった。あの時、怖い人という先入観で彼を避けた私と、修道女と知って私に近づいた彼との出会いの仲介はまさしく神であった。人と人、神と人とのつながりは、神の導きの恵みでしかないと痛感している。
長崎で育った私を導き育ててくださった多くの人も、無愛想なシスターに「祈り」の声をかけてくださった親分も、みな同じ一筋の道での出会いであった。
その導きの中で、"イエスに照らされて"照らすテレジアは、照れながら、存在し、精を出している。