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どうしてシスターに?
シスター アントニエッタ 牧山ヨウ子
幼い日から望みを育まれて
わたしは、先輩シスターからこんな話を聞きました。
「あなたの家にハマ子さん(姉)を貰いにいったら、お父さまが『あの子はもう決まっているのでだめだけど、この子でよければ連れていってください』ってあなたのことをおっしゃったの。それでわたしは『まあ、お父さま、このお子さんはまだ小さくて……』と申しあげたんですけどね。あなたは恥ずかしそうにわたしたちを見てたのよ」
本人は何も覚えていないのです。父とそんな話があっていたとは! しかし、恨めしそうな顔をして見ていた「この子」のために、シスターたちはずっと祈ってくださっていたに違いありません。それから10年後、わたしは修道院に入る恵みをいただいたのです。
わたしが育ったのは佐賀県の小さな島。「はてしない海と、限りなく広がる青い空との間に位置する玄海の孤島……。段々畑、宗教一色のこの島は、名画『ミレーの晩鐘』の風景のようでした」とある人は紹介しています。
神のお望みならば、自分たちの家庭から司祭や修道者が出ますように……、と熱心に神に祈っていた両親を忘れることはできません。召命について真剣に考え、祈る雰囲気が家庭にも教会にもありました。そういう恵まれた環境のなかで、わたしも、神さまのために生涯を捧げるシスターになりたいとの思いが、次第に強まってきたように思います。
とはいっても15歳、修道生活についてほとんどわかってはいませんでした。しかし、『白百合の芳香』という本との出会いは、修道召命への望みを強める機会となったと思っています。その本は、マリアの宣教者フランシスコ修道会のシスター・マリア・アスンタの伝記でした。わたしは夢中で読みました。シスター・マリア・アスンタの神への愛と委託、宣教への熱意に感動したのを覚えています。
聖パウロ女子修道会との出会いは、中学3年のときでした。2人のシスターがわたしたちの学校を訪問し、修道院の生活について話してくださったのです。話の内容は忘れてしまいましたが、シスターたちの何ともいえない微笑みが、わたしたちみんなをうれしい気持ちにしてくれました。
「神さまは、この会にわたしを呼んでくださってるのではないか、このシスターのところにいきたい! 中学を卒業したら。」実は、わたしは高校受験を失敗しました。父は「神さまが呼んでくださっているとき応えないと、召命をなくすかもしれないからね」とわたしを励ましてくれたのです。
4月2日、わたしは喜んで修道会に入りました。