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どうしてシスターに?
シスター マリア・フランシスカ 松岡陽子
時代を先駆ける精神
小学3年生も終わりに近づいた早春、教会で低学年のお世話をしてくれていたYリーダーが、S修道会に入るので辞められる、と聞いた。東京に珍しく雪の降る日曜日、Yリーダーの入会式にわたしたち子どもも招かれて行った。こじんまりとしていたが重厚な感じの聖堂で、短い入会式が終わると、院長様が子どもたちだけをご自分の部屋に招かれ、お話しになった。
「このなかで、大きくなったらこのS会に入りたいと思う人はいますか?」
10名程の子どもたちの中から、一つ年下のA子ちゃんが手を上げ、「はい」と大きな声で返事をした。A子ちゃんは、Yリーダーがシスターになると聞いてから、「わたしもS会に入る」と言っていたのだった。わたしは心の中で、(わたしもシスターになりたいんだ)と思っていたが、A子ちゃんのようにはS会だとは言えず、黙っていた。院長様はA子ちゃんに、色のついた大きなマリア様のメダイをくださった。
「ではこのなかで、大きくなったら、どこの会か分からないけれど、シスターになりたい人はいますか?」
院長様が次の質問をなさったとき、わたしのなかで(これだ!)という確信のようなものが生まれた。
「はい」と手を上げたわたしには、院長様は他の子どもたちといっしょの、金色の小さな不思議のメダイをくださった。A子ちゃんがもらったような立派なメダイではなかったが、小さな金のメダイは、特別で大事に思えた。それは、わたしの確信と宣言のしるしでもあったから。
どこの会か分からない、その会を探し始めたのは、中学3年生になってからだ。『ファビオラ』という本を母に勧められて読み、初代教会の殉教者たちの美しさを知って、聖人たちの生き方に関心をもつようになった。あまり意味も分からなかったに違いないが、それでも聖人たちの神との近しさに憧れていた。
中3のある日、バスに乗っていたF会のシスターに話しかけ、それからF会に行って、シスターとときどきお話しするようになった。そのうち黙想会に招かれたり、他の修道会も知るようになった。
聖パウロ女子修道会への入会を決意するのは、それから10年近くも後のことになる。マザーテレサの映画のために難しいインドでの取材が成功したり、カトリック新聞にはじめてコミックの広告が載ったりしたころ、内心(やった!)と思い、時代を先駆けようとする精神に魅力を感じたのだった。
小さな草花のように、神様はわたしを育ててくださった。そして今の時もまた、わたしを育ててくださっている。