home修道生活を考えている方へどうしてシスターに?>シスター マリア・チェレステ 長濱明子

どうしてシスターに?

バックナンバー

シスター マリア・チェレステ 長濱明子

私のターニングポイント

シスター長濱


わたしが最初に神の呼びかけを感じたのは、中学生のころだった。

神の側からすれば、「弱い者……世にとうとばれない者や、軽蔑されている者、無に等しい者を選ばれた」(コリント一 1.27)ということに違いはないのだが、当時のわたしは夢というより野心に満ちていた。

あれになりたい、これになりたいという空想の中で、理想と現実の間を走りまわっていたように思う。特になりたかったのが作家で、実際に小説を書いてもいた。気心の知れた同級生の中には数人の読者がいて、書き加えていくにつれ、それをまわし読みして励ましてくれたり、結末についてアドバイスしてくれたりして、ささやかな夢を共有し合っていたものだった。

そんな理想倒れの生意気な中学生が落ち着くところは、手近な父親の蔵書や学校、教会の図書を読みあさることだった。

わたしは幼児洗礼なので、ものごころつくころから一種の行事のような感覚で教会に行ってはいたが、決して熱心な信徒ではなかった。ただ若気の至りで、生きにくい時代を偉人の模範と英知を借りて生きようと思い、偉大な人々の生涯に自分を重ね、追体験することに(今風に言えば)はまっていた。

ところがある日、神はご自分のほうからわたしにその偉大さを示すという労をとってくださった。

たまたまイエスのことをもっと知りたいと思い始めていたわたしは、イエスの生涯を記した本を読み進めていた。イエスのガリレアでの宣教の箇所にさしかかったとき、ふと前触れもなく、その場面がページを離れて生き生きと映像化され、繰り広げられる美しい光景の中に自分が居合わせているのを発見していた。

次に気づいたときはもう見慣れた白いページに戻っていたが、この神側からの一瞬のインプットが、わたしの人生のターニングポイントとなったことはいうまでもない。

その後、数年を経て女子パウロ会へ導かれることになるのだが、召命の原点となった上記の出来事は、現在も色あせることなく脳裏に刻まれている。


▲ページのトップへ