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どうしてシスターに?
シスター マリア・ヴァレリア 明松フジノ
私を揺さぶった聖書のことば
わたしは幼いころから、信心深い両親に連れられてよく教会に行っていました。そこでミサに参加し、聖書や教理の勉強をし、聖人の話を聞き、友だちと遊ぶのが楽しみでした。こうしてわたしを霊的に育ててくれたのは長崎県鯛之浦教会で、当時、五島のローマと言われるほど、祖先から受け継いだカトリックの信仰があつく、活気にみちあふれた教会でした。毎年教会には、いろいろな修道院から志願者募集のためにシスターたちが来ておられましたが、わたしにとって彼女たちに会うのもまた楽しみの一つでした。
小学5年生ころのことです。わたしは急性肺炎を患い、1カ月ほど自宅で静養しなければなりませんでした。これは、遊び盛りのわたしにとって、とても退屈なことでした。でも、信仰の恵みと両親のおかげで、静養は神ともっと仲良くなるためのよい機会だと思えるようになり、この退屈な日々を神におささげすることにしました。わたしは子どもながら、清い心を求めて一生懸命に祈りました。その間、教会で習った聖書の言葉が頭を離れず、わたしは何度も反復していました。“人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の得があろうか”(マタイ 16.26)と。そして、「元気になったら、神さまのお望みになることは何でもいたします」と幼心に、しかし真剣に誓ったのでした。。
時は過ぎ、ある年、教会で女子青年のための黙想会がありました。そこで、あらためて聴いた同じみことばが強く心に響き、わたしを揺さぶりました。それから間もなく、東京から2人の若いシスターがわたしの家に来られ、自分たちの修道会の精神や修道生活、聖パウロの心で福音宣教をしていることなどについて話されました。わたしの心は大きく燃え上がり、強く揺さぶられました。「神のことばを宣べ伝える修道女たち、聖パウロのように!」そのときわたしは一大決心をしました。「わたしも聖パウロのようにみことばを伝える宣教者になろう、いのちを得るために」と。この2人のシスターこそ、聖パウロ女子修道会の修道女でした。
こうしてわたしは、22歳で本会に入会することができました。以来、恵みの中にいる幸せを感じつつ毎日みことばの宣教に献身しています。