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どうしてシスターに?
シスター テレジア・イレネ 田尻律子
神さまとの駆け落ち
「あれは駆け落ちと同じだったね」と父がポツリと漏らしたのは、母の葬儀を終えて父と2人だけになったときだった。
親兄弟がどんなに止めても止めることはできなかったと。「だけど通夜のとき、おまえが祈ってくれた聖書の祈りは、ジーンときたよ。お母さんもホッとしているだろうよ」と続けた。父のこの言葉は、わたしの人生の選びに対して、父が20余年を経てたどりついた結論であり、祝福の言葉であった。
修道院に入るとき、親族一同が反対した。親の勧めに従って結婚生活を考えたほうがいいと。結局、わたしは一人で状況に対峙した。わたし自身、あのとき自分を駆り立てたあの力がどこからきたのか、と不思議でならない。
わたしがキリスト教に出会ったのは、高校を卒業し、花嫁修業を兼ねて、評判のよいカトリック系の学校に入学したときだった。その出会いは、新しい世界との出会いだった。それはキリスト教と無縁の世界で育ったわたしに神が力強く介入されたときである。
陸の孤島、大隅半島の小さな村で生まれたわたしは、『花咲かじいさん』や『舌切りスズメ』の世界で育った。そこでは正直、勤勉、律儀さ、困っている人に助けの手を差し伸べることを人の基本として学んだ。小学校高学年になって、世界の偉人伝にふれたとき、他者のために尽くす生き方があることを知った。しかし、それは偉大な人の生き方であって自分とは縁遠いものに思われた。
キリスト教との出会いによって、律儀さを超えて、神の子の喜びの味わいが基本となる新しい世界がわたしのなかに開かれた。この喜びを、一人でも多くの人に分かち合いたいという思いがわたしを突き動かした。日頃学校で接しているシスターたちが、そのために生涯をささげていることを知った。自分も日本中の町々を巡り歩いてこの喜びを伝える修道女になりたいと思っていた矢先、たまたまカトリック書籍を積み込んで福岡から鹿児島まで車でやって来た、上品とは言えないが、寛容でかっぷくのよいシスターたちに出会った。そして、彼女たちが垂らした召命の釣り糸に、パックリと食いついて放さなかった。