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どうしてシスターに?
シスター マリア・リベリア 土田とし子
わたしの幸せの道
わたしは、友人の導きで教会の門をくぐった。その日から数人の女性の中に入って、シスターがお話するキリスト教の教えを受けた。お話が秘跡まで進んだとき、だれかが神父様について質問をした。シスターは「神父様は、人々の魂のお医者さんね」と説明の中で軽く言われた。幼いころ体が弱かったわたしは、将来医者になることを夢見ていた。だからこの言葉はわたしをとりこにした。
神父様は男性でなければならない。女性であるわたしにできること、それは神父様を手伝う看護婦、シスターにはなれる。この思いは、修道生活への憧れという一粒の種となって心の中に落ちた。
このような、たわいもない事がわたしの召命への道に目を開かせたのである。受洗して初聖体を拝領した時、「どうぞ、わたしをシスターとしてお使いください」と、我を忘れて祈った。この種は発芽し成長し、自分でもかかえることができないほど大きくなった。
わたしの両親、姉弟は、キリスト教について全く知らない。家族に自分の思いをどう説明したらよいか悩んだが、勇気を出して修道院へ行くことは、わたしにとって幸せへの道であることを話した。家族全員の猛烈な反対にあった。しかし、母はどうしたことか、それからこの問題にあまりふれなかった。
ある日母と二人になった。わたしは母に「ねえ、お母さん。修道院はわたしにとって幸せの道なの。行ってもいいでしょう」と言った。その時、母は苦しそうに、しかし、はっきりと言った。「お前はもう自分に責任を持つ年になったね、そのお前から幸せの道と言われて、反対することはできないんだよ。子どもの幸せを願うのが親だからね。ただ自分のとった行動に責任を持ちなさい」と言われた。これが入会許可だった。
母は、許可を与えることの結果を受け止めて許した。わたしは喜んで聖パウロ女子修道会の大阪修道院に入会のため旅立った。母がわたしの矢面に立っていたことを20年も過ぎた後に知った。両親も受洗し、わたしのわずかな親孝行である看病を受けて、わたしの手の中で静かに天国に旅立って行った。
自分で選んだ幸せの道を、生涯かけて歩んでくださいと、母はいつも言っていた。わたしの幸せの道と言って歩み始めて40数年、振り返って本当に幸せな道と思うこのごろである。