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山本神父入門講座

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22. ペトロの信仰告白とその波紋 Ⅰ

聖クレメンテ大聖堂 ペトロのモザイク画
聖クレメンテ大聖堂
ペトロのモザイク画

福音宣教とパンの奇跡は、十二人の心に消えない跡を残した。イエスはただのラビ(教師)ではない。神から遣わされ、神と深く結ばれた方である。弟子たちはそのように強く感じはじめていたに違いない。

いつものようにイエスはひとりで祈っておられた。弟子たちはパンを裂いて配ったことでも考えていたのだろうか、共にいた。

そこでイエスは弟子たちに、「群集は、わたしのことを何者だと言っているか」と質問された。弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリアだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」イエスは続けて質問された。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」(ルカ 9章18-20節)それまで口々に答えていた弟子たちを代表して、ペトロが答えた。「神からのメシアです。」(ルカ 9章20節)

やはり十二人はユダヤ人の群集とは違っていた。イエスが神から特別に遣わされた方・メシアであることをつかみ、信じていた。 ユダヤ人たちは、ダビデ王やソロモン王の全盛時代のあと、急激に衰えたイスラエルの歴史を悲しみながら、神が預言者ナタンを通じてダビテ王にされた約束の実現、新しい王の出現を幾世紀も待ち望んでいた。

ナタンは言った。「主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、・・・彼を懲らしめよう。わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。・・・あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」(サムエル 記下7章12-15節)。

イスラエルの王は、王位と王として必要な恵みが神から与えられる印として、祭司によって頭からオリーブ油を注がれて即位した。そのため王は「油を注がれた者」と呼ばれていた。その「注油を受けた者」という言葉はヒブル語では「メシア」と言われた。イスラエルは、いつ、どこで、どのようにして出現するかわからない「王」、すなわち「メシア」を待望していたのである。


このように考えてくると、「神からのメシアです」というペトロの答えは極めて重要だということが分かる。イスラエルの民、大祭司をはじめとするユダヤ教の指導者たち、ファリサイ派やサドカイ派の人々は文字どおり「王」、「ダビデ王」、偉大な将軍、政治家、統治者を待望していた。それなのにペトロは、宣教活動をはじめたばかりと言ってもよい、若いラビ・イエスをメシアだと明言したのである。

「群集は、わたしのことを何者だと言っているか」、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」イエスの二つの質問は、十二人がユダヤ人指導者やその人々に従う群集とおなじなのか、彼らとは違うのかを明らかにさせる問いであった。ペトロが代表して言った答えは、明らかにユダヤ人のそれとは決定的に異なるものであった。この質問と答えのやり取りは、大きな転換点であって、この後のイエスの歩み、十二使徒の運命に重大な影響を与えるものである。そればかりか、イエスの始めた福音宣教が、やがて「教皇」を頭にした、「教会」という「かたち」を取るようになることと深い関係がある。


福音書では、マタイによる福音書がそのことを詳しく伝えている。イエスと十二使徒との関係にも微妙な変化が生じてくる。イエスと弟子たちの福音宣教が新しい段階に入ったと言ってもよい。これらのことは一回では説明しきれないので、次回もまた説明を続けたいと思う。


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