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山本神父入門講座
45. イエスの昇天
昇天のドーム
四福音書は、十字架上で死んだイエスは、死んだままではなく確かに復活した。しかし、それはイエスが「生き返って」死ぬ前の状態に戻ったのではない。福音記者は、このことを苦心して描きだした。他方、復活したイエスと使徒たちとの関係は、「仮」のもの、「未完成」という印象を与える。そのとおりである。その「仮」のものが完成するのは、昇天によってである。マルコ、ルカの両福音書は結びで、イエスの昇天に短く言及するが、昇天について詳述するのはルカ福音書第二部とも言うべき使徒言行録第1章である。
ルカは次のようにはじめる。「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された」。教会は、この「40日」にちなんで、昇天祭を復活祭から数えて40日目の木曜日か、その後の日曜日に祝うが、この数は、“イスラエルの四十年の荒れ野の旅”、イエスの40日の断食と誘惑を連想させる。ある決定的なことの準備の期間を意味する。ここでも、日数よりも、復活したイエスの使命の完成への準備期間を示すものと考えられる。
復活後の出現によくある弟子たちとの食事のあいだに、イエスはお命じになった。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである」。この言葉に使徒たちは予期しない質問を返した。「主よ、イスラエルのために国を建て直してくだるのは、この時ですか」。使徒たちは、やはりユダヤ人である。ユダヤ人待望のメシアは、衰退し低迷を続けるイスラエルを、ローマの支配から独立させ、他の国々を支配するイスラエル国を樹立する王であった。使徒たちは、まだイエスの宣べ伝える神の国とメシアとが分かっていなかった。イエスは答えた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」。
神である父の計画を見据えているイエスにとっては、弟子たちの関心など、本来どうでもよいことである。しかし、イエスの後継者となる使徒たちである。イエスは彼らの視線を父に向けることによって、イエス自身の視線と使徒たちの視線がともに神である父に集中し、神の計画の実現に向かうように仕向けられた。それからあとのことは、聖霊に委ねてイエスは昇天された。
「こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆(おおわ)て彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様(ありさま)で、またおいでになる」 (使徒言行録 1章3-11節 参照)。
現代人は、イエスの昇天を宇宙ロケットの打ち上げと同じように考えるかも知れない。まっすぐに上って行って、しばらくすると曲がって宇宙の軌道に乗る。イエスはどこまで上っていくのか、どんな軌道に乗るのか......このような追い方ではイエスの昇天はつかめない。「雲に覆(おお)われて彼らの目から見えなくなった」 (使徒言行録 1章9節)。 雲が太陽を遮ったのなら、雲が晴れればまた見えるようになる。イエスを包んだ雲は、そんな雲ではない。
イエスがペトロ、ヤコボ、ヨハネを連れて高い山に登り、そこでイエスの様子が変わったことがあった。あの時、感動したペトロが仮小屋を作るとか言っているあいだに、「雲が現れて彼らを覆(おお)った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。すると『これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け』と言う声が雲の中から聞こえた」(ルカ9章34-35節)。昇天するイエスを包んだのは変容の時のあの雲とおなじ雲ではないか。その雲の中を通って、イエスはこの世を超越して、父の国に帰って行かれた。マルコは言っている。「主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた」(マルコ16章19節)。
この時から、使徒たちは、言わば「見える形で共にいるイエス」抜きの生活と宣教活動を始めた。イエスの昇天後、「使徒たちは、『オリーブ畑』と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。彼らは都には入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。」11人の名前が書かれている。「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、また、イエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」 (使徒言行録 1章12-14節) 。十字架のもとでイエスが母に言われた、「婦人よ御覧なさい。あなたの子です」(ヨハネ19章26節)という言葉はこのように成就した。
だんだん人が集まって来て、120人ほどになっていた。そこで、ペトロが裏切り者になった十二使徒の一人ユダの脱落による空席の補充を提案した。「そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人となるべきです」 (使徒言行録 1章21-22節)。
ここで人々はバルサバとマティアの二人を候補者として立てて、「次のように祈った。『すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。』二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十一人の使徒の仲間に加えられることになった (使徒言行録 1章23-26節) 。イエス抜きでの使徒たちの生活と活動の最初の大仕事が無事に終わった。こうしてイエスに派遣された使徒たちは世界各地に散って行く。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ 28章18-20節)マタイの結びの言葉である。
キリストの変容
マルコは言っている。「主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」(マルコ16章19-20節)。
こうして天に上げられたイエスと、地上に派遣されている弟子たちとのあいだの新しい協力体制ができてきたのである。