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山本神父入門講座
54. 聖体の秘跡・ミサ
photo by:Shoko Sirai
聖体の秘跡は、最後の晩餐(ばんさん)の席でイエスがお定めになった。マタイ、マルコ、ルカの共観福音書が伝えるその模様は、このキリスト教入門「〔35〕最後の晩餐 I 」と「〔36〕最後の晩餐 II 」で学んだ。
聖書には、福音書とは別に聖体の秘跡に触れた個所がある。コリントの信徒への第1の手紙である。紀元55年ころに書かれたこの手紙の10章と11章でパウロは、この秘跡を「主の晩餐」と呼び、その制定から書き起こして、それにふさわしくあずかることをすすめている。
「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度(たび)に、わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲む毎(ごと)に、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。従って、ふさわしくないまま主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです」(1コリント 11章23-29節)。
これを読むと、ミサの中心は、感謝の典礼であることが分かる。聖書朗読、説教、共同祈願が終わると、まず、奉納でパンとぶどう酒が祭壇に運ばれ、「神よ、あなたは万物の造り主、ここに供えるパン(ぶどう酒)はあなたからいただいたもの、大地のめぐみ、労働の実り、わたしたちのいのちのかてとなるものです。」という司祭の祈りとともにささげられる。
奉納祈願と叙唱のあと奉献文が唱えられる。「第2奉献文:まことにとうとくすべての聖性の源である父よ、いま聖霊によってこの供え物をとうといものにしてください。(パンとぶどう酒の上に十字のしるしをする)わたしたちのために主イエス・キリストの御からだと御血になりますように。 主イエスはすすんで受難に向かう前に、パンを取り、感謝をささげ割って弟子に与えて仰せになりました。『皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡されるわたしのからだである。』食事の終わりに同じように杯を取り、感謝をささげ弟子に与えて仰せになりました。『皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血である。これをわたしの記念として行いなさい』」。このあと、司祭は「信仰の神秘」と大声で歌うか唱えるかすると信徒が答える。「主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで。」命じられたように、イエスの記念として、イエスがいわれたとおりに行なっている。司祭はさらに続ける。「わたしたちはいま、主イエスの死と復活の記念を行い、ここであなたに奉仕できることを感謝し、いのちのパンと救いの杯をささげます」
パウロはミサとキリスト者の一致について書いている。「わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです」(1コリント10章16-17節) 。
このような教会の伝統のなかで祈りが続く。「キリストの御からだと御血にともにあずかるわたしたちが聖霊によって一つに結ばれますように。」そのあと、教皇、司教をはじめとする全教会とすべての死者のために祈り、栄唱が唱えられる。「キリストによってキリストとともにキリストのうちに、聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、すべての誉れと栄光は、世々に至るまで。アーメン。」
この後、主の祈りとともに交わりの儀に入り、聖体拝領の準備が進む。主の祈りの句、「わたしたちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください」を受けて、副文、教会の平和を願う祈りが続く。「いつくしみ深い父よ、すべての悪からわたしたちを救い、現代に平和をお与えください。あなたのあわれみにささえられ、罪から解放されて、すべての困難にうち勝つことができますように。わたしたちの希望、救い主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます。国と力と栄光は、限りなく、あなたのもの。主イエス・キリストあなたは使徒に仰せになりました。『わたしは平和を、あなたがたに残し、わたしの平和をあなたがたに与える。』わたしたちの罪ではなく、教会の信仰を顧み、おことばのとおり教会に平和と一致をお与えください。アーメン。」そして、司祭と信徒、信徒同士の間で平和のあいさつが交わされる。
聖体拝領の前に司祭は、「神の小羊の食卓に招かれた者は幸い」と呼びかける。信徒は信仰告白で答える。「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちのかて、あなたをおいて、だれのところに行きましょう」。
聖体拝領は、本来、キリストの体となったパンとキリストの血となったぶどう酒の両方の形態で行われるものであるが、通常はパンのかたちだけでの拝領が行われている。
photo by:Shoko Sirai
聖体拝領は、洗礼を受けたカトリック信者に限られている。それは、聖体は、洗礼によって新しく生まれた神の子の、永遠の命を保ち、育て、完成に導く糧だからである。また聖体拝領前1時間は、水以外の飲食は慎むことになっている。聖体拝領は左の掌を右の掌で支える形で受け、右手で口に運ぶ形で行われる。以前行われていた口を少し開いて舌の上に拝領する人もごく少数いる。
聖体拝領のたびごとに、ゆるしの秘跡を受けなければならないと考えている信者がいるが、大きな罪(大罪)がある場合はゆるしの秘跡を必要とするが、それ以外の場合はその必要はない。このような考え方は、数十年前くらいまで広まっていた、秘跡に対する、狭く、厳しい態度の名残である。
ミサには、感謝の典礼と密接に結び会わされている、ことばの典礼がある。また、聖体の秘跡について語るならば、教会に安置されている聖体に対する尊敬と祈りについても説明しなければならない。このような点については次回に譲ることにしたい。