アレオパゴスの祈り
アレオパゴスの祈り 2007年8月5日
8月は終戦記念日を迎えます。1981年、時の教皇ヨハネ・パウロ2世は広島を訪れ、「過去を振り返ることは、将来に対する責任をになうことです」と言われました。戦争を振り返り、平和を思うとき、平和は単なる願望ではなく、具体的な行動でなくてはなりません。日本のカトリック教会は、その翌年、広島と長崎の事実を思い起こす8月6日から8月15日までの10日間を「日本カトリック平和旬間」と定めました。今晩のアレオパゴスの祈りにおいて、わたしたちは平和を願い、考え、ともにそのための祈りをおささげたいと思います。
旧約聖書でイザヤは次のように主の約束を預言しました。
イザヤの預言 57章 15~19
高く、あがめられて、永遠にいまし
その名を聖と唱えられる方がこう言われる。
わたしは、高く、聖なる所に住み
打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり
へりくだる霊の人に命を得させ
打ち砕かれた心の人に命を得させる。
わたしは、とこしえに責めるものではない。
永遠に怒りを燃やすものでもない。
霊がわたしの前で弱り果てることのないように
わたしの造った命ある者が。
貪欲な彼の罪をわたしは怒り
彼を打ち、怒って姿を隠した。
彼は背き続け、心のままに歩んだ。
わたしは彼の道を見た。
わたしは彼をいやし、休ませ
慰めをもって回復させよう。
民のうちに嘆く人々のために
わたしは唇の実りを創造し、与えよう。
平和、平和、遠くにいる者にも近くにいる者にも。
わたしは彼をいやす、と主は言われる。
(沈黙)
プリント「清い心で」
主がわたしたちに願っておられる平和への道を、この地球のすべての人と共に歩むことができるように、ローソクの灯火に託してわたしたちの祈りをささげましょう。後ろでローソクを受け取って祭壇へささげ、カード「平和のための祈り2007」をお取りになって席へおもどりください。
1981年2月25日、時の教皇ヨハネ・パウロ2世は「平和の巡礼者」として広島を訪れ、平和記念公園で世界の人々に向けて『平和アピール』をなさいました。
「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死そのものです」と話し始められた教皇は、「過去を振り返ることは将来に対する責任をになうことです」と何度も強調されました。わたしたちは教皇の言葉を自らに言い聞かせ、繰り返し考えてゆかねばならないと思います。ここでその「平和アピール」の1部分を聞きましょう。
朗読:『原子野からの旅立ち』 女子パウロ会「平和アピール」より
過去を振り返ることは将来に対する責任をになうことです。1945年8月6日のことをここで語るのは、我々が抱く「現代の課題」の意味を、よりよく理解したいからです。あの悲劇の日以来、世界の核兵器はますます増え、破壊力をも増大しています。
核兵器は依然として製造され、実験され、配備され続けています。全面的な核戦争の結果がいかなるものであるか、想像だにできませんが、核兵器のごく一部だけが使われたとしても、戦争は悲惨なものとなり、その結果、人類の滅亡が現実のものとなることが考えられます。
広島を考えることは、核戦争を拒否することです。広島を考えることは、平和に対しての責任を取ることです。この町の人々の苦しみを思い返すことは、人間への信頼の回復、人間の善の行為の能力、人間の正義に関する自由な選択、廃墟を新たな出発点に転換する人間の決意を信じることにつながります。戦争という人間が作り出す災害の前で、「戦争は不可避なものでも必然でもない」ということを、われわれは自らに言い聞かせ、繰り返し考えてゆかねばなりません。
この地上の生命を尊ぶ者は、政府や、経済・社会の指導者たちが下す各種の決定が、自己の利益という狭い観点からではなく、「平和のために何が必要かを考慮してなされる」よう、要請しなくてはなりません。目標は常に平和でなければなりません。すべてをさしおいて、平和が追求され、平和が保持されねばなりません。過去の過ち、暴力と破壊とに満ちた過去の過ちを、繰り返してはなりません。険しく困難ではありますが、平和への道を歩もうではありませんか。その道こそが、人間の尊厳を尊厳たらしめるものであり、人間の運命を全うさせるものであります。平和への道のみが、平等、正義、隣人愛を遠くの夢ではなく、現実のものとする道なのです。
私はこの地(広島)で、「人間性のため、全世界に向けての生命のためのアピール」を、人類の将来のためのアピールを出したいと考えます。
各国の元首、政府首脳、政治・経済上の指導者に次のように申します。
正義のもとでの平和を誓おうではありませんか。
いま、この時点で、紛争解決の手段としての戦争は、許されるべきではないという固い決意をしようではありませんか。
人類同胞に向かって、軍備縮小とすべての核兵器の破棄とを約束しようではありませんか。
暴力と憎しみに代えて、信頼と思いやりとを持とうではありませんか。
この国のすべての男女、全世界のすべての人々に次のように申します。
国境や社会階級を越えて、お互いのことを思いやり、将来を考えようではありませんか。
平和達成のために、自らを啓蒙し、他人を啓発しようではありませんか。
相対立する社会体制のもとで、人間性が犠牲になることが決してないようにしようではありませんか。
再び戦争がないように力を尽くそうではありませんか。
全世界の若者たちに、次のように申します。
ともに手を取り合って、友情と団結のある未来を作ろうではありませんか。
窮乏の中にある兄弟姉妹に手を差し伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところに平和をもたらそうではありませんか。
あなたがたの若い精神は、善と愛を行う大きな力を持っています。
人類同胞のために、その精神を使いなさい。
神を信じる人々に申します。
我々の力をはるかに超える神の力によって勇気を持とうではありませんか。
神がわれわれの一致を望まれていることを知って、団結しようではありませんか。
愛を持ち自己を与えることは、彼方の理想ではなく、永遠の平和、神の平和への道だということに目ざめようではありませんか。
教皇は人類を代表して神に叫びのように次の祈りをおささげになりました。その祈りにわしたちの心を合わせてささげましょう。
自然と人類の創造主、真理と美の創造主に祈ります。
神よ、私の祈りの声をお聞きください。
それは個人や国家の間のあらゆる紛争や暴力の犠牲者の声だからです。
神よ私の祈りの声をお聞きください。
それは人々が武器と戦争に頼る時、苦しむすべての子供たちの声だからです。
神よ私の祈りの声をお聞きください。
すべての人間の心の中に、平和の持つ英知と、正義の持つ力と、隣人愛を持つ
喜びとをもたらしてくださるよう、祈っているからです。
神よ、私の祈りの声をお聞きください。
戦争を嫌い、平和の道を歩もうとするすべての国、すべての時代の人々に代わっ
て祈っているのですから。
神よ、私の祈りの声を聞き、英知を与えてください。
憎しみには愛をもってあたり、不正には完全な正義をもってあたり、窮乏に悩む
者には己を与え、戦争には平和をもって応えることができるように。
神よ、私の祈りを聞き、世界にあなたの「永遠の平和」を与えてください。
(沈黙)
『祈りの歌を風にのせ』 P.10「あなたの平和の」
「平和のための祈り2007」を祈りましょう。
すべての人の父である神よ、
主イエス・キリストは、言葉と生き方をとおして、すべての人が神の子であり、
わたしたちが互いに兄弟姉妹であることを教えてくださいました。
今、この世界には、エゴイズムや無関心、相互不信や敵意によって、人と人と
が引き裂かれている現実があります。その中で苦しむ人々の叫びを聞いてくだ
さい。
どうかわたしたちに、互いの違いを認め合い、すべての人を兄弟姉妹として大
切にする心を与えてください。
あなたの望まれる平和な世界を築いていくことができますように。
アーメン。
『カトリック典礼聖歌集』 No.325「マラナタ」③
これで、アレオパゴスの祈りを終わります。