アレオパゴスの祈り
アレオパゴスの祈り 2014年 8月 2日
この聖堂の祭壇には、あることばが刻まれています。「恐れることはない。わたしがともにいる。ここから照らそう。悔い改めの心を持ちなさい」。これは、創立者アルベリオーネ神父が夢の中でイエスから受けたことばです。
今年の8月20日、パウロ家族修道会は、創立100周年を祝います。1914年、アルベリオーネ神父はイタリアのピエモンテ州にあるアルバに聖パウロ修道会を創立しました。その後、聖パウロ女子修道会などの修道会、在俗会、信徒による協力者会からなる10の団体を創立し、「パウロ家族」と呼ばれています。先月に引き続き、今日もアルベリオーネ神父についてご紹介したいと思います。
わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人々、出来事を主の御手にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。
(沈黙)
お祈りしたい意向を心の中にたずさえて、ローソクをささげましょう。後ろでローソクを受け取り、祭壇にささげ、ハガキをお取りになって席にお戻りください。
イエスは宣教活動を始める前に、荒れ野で悪魔から誘惑をお受けになりました。断食をして、空腹を感じていた主に悪魔はささやきかけます。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」。イエスはお答えになります。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つのことばで生きる」(マタイ4.1-4参照)。
まことの命を与える神のことばを人々に与えようと、アルベリオーネ神父は生涯をささげました。パワーポイントでアルベリオーネ神父について、ご紹介したいと思います。
ヤコブ・アルベリオーネは、1884年4月4日、イタリアの北部ピエモンテ州にあるクネオ、サンロレンツォフォッサーノに住む、貧しい農家の5番目の子として生まれました。④両親はとても信仰があつく、ヤコブは、生まれて次の日に洗礼を受けました。
ヤコブが6歳、小学生だったとき、「大人になったら司祭になりたい」という夢を抱き、1896年、12歳の時に神学校に入学しました。
1900年、ヤコブが16歳の時、彼はその後の将来を決定する大きな体験をします。19世紀と20世紀を分かつ夜、アルバの司教座聖堂では、「新しく始まる20世紀のために祈りましょう」という教皇レオ13世の意向に従って、荘厳なミサがささげられました。その後、神学生たちは顕示されたご聖体のみ前で祈っていました。⑦
当時は、社会の工業化、支配階級と労働者との格差が社会問題となっていました。また科学の目覚ましい発展と共に、無神論、マルクスによる共産主義が広まりました。教会に反対する人々は印刷の技術を使い、運動を進めていきました。
社会が変化し、人々が教会から離れていく中で、ヤコブは「主のために何をしなければならないのだろう」と、思いめぐらしていました。
そのとき、彼は顕示されたご聖体から、光を受ける体験をします。「すべての人をみもとに集めたい」と望んでおられる、イエスの思いが今までよりも、もっと深く理解できたのです。主のために、またこれから始まろうとしている新しい世紀を生きる人々のために、何かをしなければならない。そのような使命を、神からいただいているように感じました。
教会の反対者たちがしているように、組織を作り、彼らが使っている「印刷」という技術を通して、人々に福音をもっと伝えることができるのではないか、と考えました。御聖体のイエスのうちに光、慰め、悪への勝利が得られるということを確信しつつ、彼は司祭になるために歩みを続けました。
その後ヤコブは1907年に司祭に叙階されます。教区司祭として働くかたわら、将来に向けて準備をし始めました。
アルベリオーネ神父
1914年6月、オーストリアの皇太子夫妻の暗殺をきっかけに、ヨーロッパでは第一次世界大戦の嵐が吹きはじめました。
そのような状況の中でアルベリオーネ神父は、8月20日、出版という技術を使って福音を人々に伝える修道会を創立します。当時は「少年印刷学校」という名前でした。これが後の「聖パウロ修道会」の始まりです。最初の志願者は、15歳と13歳の2人の少年でした。
アルベリオーネ神父のこの行動に、多くの人々は疑いの目を向けました。「本を出版するための司祭や神学生」なんて、聞いたことがありません。アルベリオーネ神父と少年たちの小さなグループは、人々から理解されませんでした。教会に反対する人々、社会主義者たちからはいやがらせを受け、経済的な困難も抱えていました。「世の中が戦争をしているというのに新しい事業を始めるなんて、アルベリオーネ神父は気が変になった」。人々はそうあざ笑いました。
しかし、この小さなグループに少年たちが集まり始め、次第に人数が増えていきました。一方アルベリオーネ神父は、もともと健康に恵まれていない体質で、結核を患うこともあり、人々からは「死に追いやられるのではないか」と言われていました。
聖パウロの額を囲むアルベリオーネ神父と少年たち
そのような状況の中で、ある日アルベリオーネ神父は、夢を見ました。夢の中でイエスはこうおっしゃいました。「恐れることはない。わたしが共にいる。ここから照らそう。悔い改めの心を持ちなさい」。
その後、アルベリオーネ神父は、この夢で語られたイエスのことばを次のように説明しています。
「恐れることはない。わたしが共にいる」
社会主義者も、ファシストも、この世も、大恐慌にみまわれて債権者たちがおしかけてくることも、サタンも、あらゆる面での不足も、いかなるものもあなたたちに害を与えることはできない。ただ、わたしがあなたたちと共にとどまれるように、万全を期しなさい。罪を犯してわたしを追い出してはいけない。「わたしはあなたたちと共にいる」。ためらってはならない。たとえ困難が多くても……。ただ、わたしがいつもあなたたちと共にいることができるようにしなさい。
「ここから照らそう」
わたしはあなたたちの光だ。そして、わたしは照らすためにあなたたちを遣わそう。わたしはこの使命を委ねるから、あなたたちはそれを果たしてほしい。
「悔い改めの心を持ちなさい」
罪、欠点、不足をいつも認めること。神のものと人間的のものとを見分け、すべての誉れを神に帰すること。
師イエスの姿は光に包まれ、「ここから照らそう」ということばが発せられたときの声には力があった。聖櫃の方に手を延べてじっと指し示し、聖櫃にいらっしゃる師イエスからすべてを汲みとるようにと招かれていることを感じた。当時危険におびやかされ、困難を抱えていたこの修道会から、偉大な光が放たれるのだと悟った。会員はそれぞれ、光の伝達者であり、手に持つペンも、印刷機のインクのはけも、同じように尊い使命を果たすのだと悟った。
『豊かな恵みの富』ヤコブ・アルベリオーネ神父著より
アルベリオーネ神父がイエスから受けた、この「恐れることはない……」ということばは、世界中のパウロ家族の聖堂に掲げられています。
わたしたちは貧しく小さい者ですが、神様のみ旨を行うならば、全能の父である神様が共にいてくださる。このことばは、わたしたちにとって、そのことを保証し、力と勇気、慰めを与えてくれることばなのです。
その後、多くの困難を乗り越えて、修道会は発展しました。アルベリオーネ神父がまだ少年だったとき、思い描いた夢はこうして実現していきました。現在、パウロ家族のメンバーは65か国で活躍し、「人類にとって道、真理、命である師イエスを世界の人々に与えたい」という創立者の夢を今も追い続けています。
師イエス
聖書の中には、「恐れるな」ということばが365回ほど登場すると言われています。わたしたちは多くの場合、何かを恐れ、心配しながら、毎日を過ごしています。仕事や学校のこと、人との関わり、将来のこと……。「心配することが何もない」という人などいないかもしれません。祈りの中で、神様の存在を感じられないときもあるでしょう。アルベリオーネ神父は自分の弱さを感じ、多くの困難を抱えながらも、聖櫃にいらっしゃるイエスから光と慰めを受け、前に進んでいきました。イエスはおっしゃいます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたたちと共にいる」(マタイ28.20b)。
イエスのみことばは、今のわたしにどんなメッセージを投げかけているでしょうか。しばらく沈黙のうちに祈りましょう。
(沈黙)
『平和を祈ろう』No.5 「あなたを離れては」① ③
わたしたちが、日々の歩みの中で師イエスと共に歩んでいくことができますように願って、祈りましょう。『パウロ家族の祈り』p.253「師イエスへの射祷」
師イエス、わたしの知性を聖化し、わたしの信仰を増してください。
教会で教えられるイエス、すべての人をみもとに引き寄せてください。
師イエス、誤りと空しい思い、および永遠のやみからわたしを救ってください。
御父とわたしたちの間の道であるイエス、
すべてをあなたにささげ、すべてをあなたから期待します。
聖性の道であるイエス、わたしを、あなたに忠実に倣う者としてください。
道であるイエス、わたしを、天の御父のように完全な者としてください。
いのちであるイエス、
わたしがあなたのうちに生きるため、わたしのうちに生きてください。
生命であるイエス、わたしがあなたから離れることのないようにしてください。
生命であるイエス、あなたの愛の喜びを、永遠に味わせてください。
真理であるイエス、わたしが世の光となるようにしてください。
道であるイエス、わたしが人びとの模範になるようにしてください。
生命であるイエス、
わたしがどこにいても、あなたの恩恵と慰めをもたらす者となるようにしてください。
アルベリオーネ神父は、当時発展していった「印刷」というメディアを使って、神のことばを人々に伝えようと生涯をささげました。現代では、インターネット、ソーシャルメディアの普及により、コミュニケーションの方法も大きな変化を遂げました。しかしアルベリオーネ神父の時代にそうであったように、現代においてもメディアは善のために使われると同時に、悪のためにも利用されています。メディアが人々の平和と善のために用いられますように、またメディアから悪い影響を受けている人々のために、主のあわれみを求めて祈りましょう。
『パウロ家族の祈り』p.96「イエスのように人々の救いを渇望する者の祈り」
主よ、きょう感謝の祭儀をささげるすべての司祭と共に、
いけにえのイエスに合わせ、小さないけにえとしてわたし自身をささげて祈ります。
1. 社会的コミュニケーション・メディアによって
世界中に広がっていく誤りとつまずきをこの奉献によって償わせてください。
2. 強力な社会的コミュニケーション・メディアによって誤りと悪に引きこまれ、
父であるあなたの愛から離れていく人びとにあわれみを注いでください。
3. 社会的コミュニケーション・メディアの使用にあたり、
キリストと教会の教えを無視し、人間の知性と心と活動を、
正しい道からそらす人びとを回心させてください。
4. 父よ、あなたが限りない愛から「これはわたしの愛する子。これに聞け」と
世に送られたキリストだけにすべての人が従っていきますように。
5. 人となられたみことばイエスだけが完全な師であり、
父を知らせ、そのいのちにあずからせる確かな道であることを
わたしたちが知り、また、皆に知らせることができますように。
6. 社会的コミュニケーション・メディアによる使徒職に献身し、
全世界に救いのメッセージを広める信徒、修道者、司祭が、
数多く教会に生まれますように。
7. 社会的コミュニケーション分野において制作、技術、
普及にたずさわる人びとが、思慮に富み、福音の精神に満たされ、
キリストに従う生き方を証しすることができますように。
8. 社会的コミュニケーション分野で多くの使徒的イニシアティブが実を結び、
人間的・キリスト教的な真の価値がいっそう尊重されますように。
9. 父よ、すべての人のために、光と愛とあわれみを求めて祈ります。
わたしたち皆が自分の無知とみじめさを認め、
謙遜と信頼をもっていのちの泉に近づき、
みことばとキリストのからだに養われる必要を深く感じる者になれますように。<
この祈りの時間にいただいた恵みを沈黙のうちに感謝して祈りましょう。
(沈黙)
わたしたちが必要としている恵み、またお祈りを依頼された方々の意向に合わせ、アルベリオーネ神父の取り次ぎを求めて祈りましょう。
『パウロ家族の祈り』p.53、「師イエスに向かう祈り」
父と子と聖霊の三位一体の神、
道・真理・生命である師キリストにおいて、全教会と共に感謝します。
あなたは忠実なしもべヤコブ・アルベリオーネ神父に聖性と光と恵みを豊かに注ぎ、
全世界に福音を告げる疲れを知らない使徒とされました。
かれの精神に忠実に生き、かれの模範に従う恵みをわたしにお与えください。
師キリストが世界に受け入れられるように
社会的コミュニケーション・メディアをもって働くすべての人を導き守るかれに
地上でも光栄をお与えください。
かれの取り次ぎによって、今、わたしが祈り求める恵みをお与えください。
使徒の女王マリア、母であるあなたの取り次ぎをもって、
わたしのこの願いを強めてください。
『平和を祈ろう』No.125 「恵みは主から」① ③>
結びの祈り
父である神よ、あなたはいつもわたしたちを励まし、力づけてくださいます。アルベリオーネ神父の取り次ぎによって、わたしたちも自分の弱さを恐れることなく、恵みのうちにあなたに向かって歩んでいくことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。
これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。
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