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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2014年 9月 6日


朝顔



今日、こうしてご聖体のイエスのみ前で、祈ることができる恵みを共に感謝いたしましょう。日々の生活で体験した喜び、楽しかったこと、また痛み、苦しみを主に差し出して、わたしたちの祈りをおささげいたしましょう。

わたしたちは、だれも一人きりで生きることはできません。家族や友人、一緒に働く人など、人との関わりにおいて生きています。神は最初の人、アダムをお造りになったとき、言われました。「人が独りでいるのはよくない」(創世記 2.18b)。人はそれぞれ個性があり、だれ一人として同じ人はいません。他者との関わりは、わたしたちを豊かにしてくれますが、時には意見の違いから相手を理解することができず、摩擦の原因ともなってしまいます。明日、7日(日)のミサの中で読まれる福音を聞きながら、人との関わりを通して表される自分自身の姿を、見つめてみましょう。

わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人びと、出来事を神様の御手にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。

(沈黙)

お祈りしたい意向を心の中にたずさえて、ローソクをささげましょう。

年間第23主日に読まれる、福音を聞きましょう。

マタイによる福音(18.15-20)

そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。 聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。 それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。 はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」。

朝顔


「兄弟があなたに対して罪を犯したなら……」。わたしの「兄弟」とも思えるほど、親しい人から、傷つけられるようなことがありました。言葉なのか、何か行動なのか、福音書には書かれていません。イエスは、わたしを傷つけたその兄弟に、二人だけのところで忠告するように勧めます。自分の思っている感情を素直に相手に話すのです。そうすることができれば、こんなにすばらしいことはありません。勇気がいることです。しかし、相手が自分の言っていることを理解してくれるとも限りません。人はそれぞれ価値観を持っているからです。イエスは、「他の人を連れて行きなさい。教会に申し出なさい」と勧めます。しかし、教会の言うことも聞き入れない場合があることを指摘しています。

人は誰でも、自分の意見、価値観を持っており、それを他の人にも受け入れてほしいと思っています。それが受け入れられず、批判されると、自分自身が否定されたように感じてしまうことさえあります。わたし自身とわたしの持っている意見はイコールではありません。わたしは自由に自分の意見を持つことができます。それと同じように、相手には相手の意見、価値観があり、相手は自由にそれを表現することができます。誰かと話しているとき、わたしの考えていること、アイディアが受け入れられなかったとき、わたしはどんな感情を心に抱くでしょうか。

「ああ、そうだな。そんな考え方、ものの見方があるんだ」と感じるなら、視野が開かれる体験となるでしょう。一方、わたしの考えていること、アイディアが否定されると、「わたしという人間も否定された」と感じると、何が起こるでしょうか。心の中に、悲しみ、痛み、または怒りが湧き上がってくることがあります。その場合は、心のどこかで、「わたしの意見、価値観が一番良いのだ」と思っているのかもしれません。わたしが自分の意見、価値観に縛られて、自分自身に執着しているのかもしれません。悲しみ、痛み、または怒りなどは、否定的な感情ではありません。感情は中立であり、そのような感情が心の中にあっても罪ではありません。しかし、その感情が、わたしの本来の姿、わたしは何に縛られているかを教えてくれるのです。わたしが人と接するとき、わたしの心の中はどのようなことを感じるでしょうか。このことを思いめぐらしながら、しばらく沈黙のうちにふり返ってみましょう。

(沈黙)

わたし自身が、わたしの意見、価値観に縛られることなく、自由になり、イエスに従っていくことができますように、祈りましょう。

『パウロ家族の祈り』p.175 「師イエスに向かう祈り」

    師イエス、御父の最愛の子であるあなたを礼拝します。
    あなたは御父のもとに行く唯一の道です。
    わたしたちの模範となってくださったことを感謝します。
    あなたは崇高な愛の模範を残し、
    地上ではあなたに従い、天の国ではあなたと共にいるよう
    人びとをお招きになりました。
    あなたの地上の生活のさまざまな時期を観想し、
    あなたの教えを素直に受け入れ、
    あなたの歩まれた道をたどり、
    自分自身から解放されて、ただみ旨だけを求めることができるよう
    わたしたちをあなたのもとに引き寄せてください。
    終わりの日にはあなたに似た者となり、
    天の国では永遠にあなたと共にいることができるように
    わたしたちの希望を強めてください。

    道・真理・生命である師イエス、わたしたちをあわれんでください。

主がわたしたちの毎日の生活を、恵みで満たしてくださることを感謝し、主と共に歩んでいくことができますように願いましょう。

 『平和を祈ろう』No.164 「豊けき主の恵み」①、②を歌いましょう。

人はそれぞれ、価値観、大切にしたいものを心の中に持っています。わたしの価値観はどんなものでしょうか。デンマークに伝わる、「二つの鏡」というお話をご紹介しましょう。

悪魔はいつも好んで混乱を起こします。そうした状況をつくるために、悪魔はあるとき、特別な鏡をつくらせました。この鏡に映すと、この世のすべての良いもの、美しいものは小さくなり、すべての悪いもの、醜いものは大きくなるのです。悪魔はこの鏡を持って歩きまわり、これはと思う人に目の前につきつけました。そうこうするうちに、あらゆる土地のあらゆる人が世界をゆがんだ目で見て、何て醜いところだろうと思うようになってしましました。

ところがある日のこと、悪魔はこの鏡のせいで起こったゴタゴタを考えておなかをかかえて笑いこけているうちに、鏡を取り落して粉々に砕いてしまいました。そこに嵐が吹きまくって、鏡のかけらを世界の果てにまで吹きとばしてしまいました。

あるかけらはもみ粒のように小さくて人びとの目に入り、それからというもの、その人たちは気の毒に世の中の悪いものばかりに気が付くようになり、その一方、良いものは小さく縮んで、ほとんど見えなくなってしまいました。かけらのうちのあるものは長い年月の間に寄り集まって、眼鏡になりました。そうした眼鏡をかけた人は、どんなものでも正しく見ることができなくなってしまうのです。

神は人間の視力がこのように損なわれ、多くの人が自分の周りの良くないものしか目に入らなくなっていることを、また良いもの、美しいものが見えなくなっているのをご覧になって悲しまれました。再びすべてを正そうと、神様は言われました。

「わたしの息子はわたしと生き写しだ。息子をこの世に遣わそう。彼はわたしの善と義を映し出し、わたしがこの世にどうあってほしいと思っているか、示すだろう。」

そこでイエス様が神様の鏡となられたのです。イエス様は神様の善を、泥棒や詐欺師、この世でさげすまれている人びとにまで示されました。イエス様は病気の人、希望を失っている人の心に勇気と自信を映し出してくださいました。悲しんでいる人に慰めを与え、不安に心がなえ、衰えている人のうちに信頼の思いを映し出してくださいました。

多くの人がイエス様を神様の鏡と認めて、従いました。でもある人たちは嫉妬に駆られて、神様の愛そのものであるイエス様が、自分たちの力をおびやかそうとしていると考えました。それで彼らはイエス様を捕える計画を立てて殺しました。こうして彼らは神様の鏡を壊してしまったのです。

やがてたいへんな嵐が吹き荒れました。この嵐で神様の鏡は粉々になって世界の隅々にまで飛ばされました。神様の鏡のかけらは世界のうちに飛び散っています。そうしたかけらがたくさんの人の目の中に入ったのです。そのかけらを目に宿した人たちは神様がお造りになった世界を、再びイエス様の目で見ることができるようになりました。彼らは神様が創造なさった美と善、そして神様が愛しておいでになる人間を見て、たとえ悪いもの、醜いものが栄えるように見えても、それは一時のことにすぎず、愛の力で征服できるのだということを悟ったのです。

 『世界中から集めた深い知恵の話100』、マーガレット・シルフ 編、中村妙子訳、女子パウロ会刊 「二つの鏡」より

心に残ったことを思いめぐらしながら祈りましょう。

(沈黙)


朝顔


「師イエスへの祈り」を唱えましょう。

    師イエス、
    わたしがあなたの知性と知恵をもって、考えますように。
    わたしがあなたの心で、愛しますように。
    わたしがすべてにおいて、あなたの目で見ますように。
    わたしがあなたの舌で、話しますように。
    わたしがただあなたの耳で、聞きますように。
    あなたが味わうことを、わたしが味わいますように。
    わたしの手があなたの手となり、
    わたしの足があなたの歩まれた道をたどりますように。
    あなたが祈られたように、わたしも祈り、
    あなたがご自身をささげられたように、
    わたしも自分自身をささげることができますように。
    わたしがあなたのうちに生き、あなたがわたしのうちに生きてくださいますように。

        (パウロ家族修道会創立者、福者ヤコブ・アルベリオーネの祈り)

『平和を祈ろう』No.48 「新しい人になるように」③ ④

この祈りの時間にいただいた恵みを思いめぐらしましょう。

(沈黙)

イエスはおっしゃいました。「はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる」(マタイ18.19)。感謝のうちに、この一ヵ月必要としている恵み、また日本をはじめ世界で苦しんでいる人びとのために恵みを願って、祈りましょう。

主の祈り、アヴェ・マリアの祈り、栄唱

結びの祈り
父である神よ、あなたは御子イエスをこの世界に遣わし、御子を通して、あなたの愛の豊かさを示してくださいました。ここに集まったわたしたちが、御子の心で、あなたを賛美し、人びとを兄弟姉妹として、愛することができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。



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