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アレオパゴスの祈り

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アレオパゴスの祈り 2015年 9月 5日

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 秋明菊


父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

他者との関わりの中で生きているわたしたちにとって、コミュニケーションはなくてはならないものです。それは人との関係だけにとどまらず、自分自身、動物や植物、そしてわたしたちを造ってくださった神……というふうに、あらゆるものに及びます。きょうは、明日の福音を聞きながら、神とわたしとのコミュニケーション、関わりについて、祈ってまいりましょう。

この祈りのとき、聖霊がわたしたちを導いてくださいますように、願って歌いましょう。

「スピリット ソング」 ① ②

『パウロ家族の祈り』p.325

   わたしの神、すべての民と共にあなたを賛美します。
   すべての人が、あなたに感謝と礼拝をささげますように。
   あなたは、造られたものの中にはあなたの偉大さを、
   良心にはあなたの法を、聖書には永遠の約束を書きとめられました。
   あなたは永遠に忠実な方、変わることなく愛すべき方です。
   愛の父であるあなたのみ声を聞きわけることができるよう、
   わたしの知恵を開いてください。

明日、ミサの中で朗読される福音を聞きましょう。(マルコによる福音 7章31~37節)

それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」

爆心地点
ホトトギス


(沈黙)

「コミュニケーション」という言葉を、広辞苑で調べてみると、「社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達」(新村出編、『広辞苑』第六版、岩波書店、2008年)という意味が書かれています。今、聞いた福音書の中に出てきた人は、耳が聞こえず、話すことができませんでした。彼は、人とのコミュニケーション、関わりを持つことができず、さびしかったことでしょう。彼を孤独からいやしてくださったのは、イエスでした。イタリアのカルロ・マリア・マルティーニ枢機卿の解説を聞きましょう。

物語を3つの場面に分けて考察しましょう。耳が聞こえず、舌が回らない人の描写、開くためのしるしと身振り、奇跡とその結果です。

(1)福音の物語は、まずこの人はコミュニケーションをするのに不自由であったことを明確にしています。何を望んでいるかも分からないために、人々は彼をイエスのもとに連れてくる必要を感じたのでした。ですから絶望的な例です。

(2)けれども、イエスは奇跡をすぐに行われません。まず、ご自分がこの人を大切にし、彼のことに関心を抱き、彼の面倒を見ることを望み、しかもそれができることを本人に理解させることを望まれます。コミュニケーションのチャンネルを開くかのように、彼の耳に指を突っ込み、ご自分の舌の動きの自由さを伝えるかのように、唾で彼の舌を潤します。いささか野蛮でショッキングな感じの肉体的なしるしです。けれども自分の世界、その無気力さの中に閉じ込められている人に、他のどのような方法で心、そして愛を伝えることができたでしょうか。しるしの場合も命令の場合も、イエスはまず聴覚を、耳をいやすことから始められたということに注目しましょう。舌がいやされるのはそれに続いてのことです。

(3)コミュニケーションの障害が取り払われると、言葉は堤防の堰(セキ)を切った水のように流れ出します。驚きと喜びがガリラヤの町や村にさざ波のように広がっていきます。「イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。そして、すっかり驚いて言った。『この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。』」(マルコ7章36b~37)

( カルロ・マリア・マルティーニ著 今道瑤子訳『開け!EFFATHA~なぜできない、コミュニケーション~』女子パウロ会

キリスト教の神は、コミュニケーションの神であるとも言えます。天からただ人間を見下ろしている方ではありません。イスラエルの歴史を見てみると、積極的にご自分を人間に表し、関わりを持とうとされる神であることが分かります。アブラハム、モーセ、ダビデや預言者たちに現れ、彼らをとおして、イスラエルの民を導かれました。

わたしたちも何かのきっかけをとおして、教会に通い、洗礼を受けました。家族や親が信者だったり、また先生や友達、出会った神父様、シスターをとおして、神様に少しずつ導かれたなど、神様との出会いは人それぞれで、実にユニークなものです。父である神様は、ご自分のみ心を御子であるイエスをとおして、人間に表されることをお望みになりました。この神様との親しい関係を育むためには、特に祈ることが大切になってきます。祈りは、父である神様からの愛の呼びかけに対する、わたしたちの応えです。わたしは、今、神様の前で、どんな気持ちでしょうか。

(沈黙)

喜び、感謝、賛美だけではなく、時には悲しみ、怒り、または心に何も感じない……などさまざまな心の状態があるでしょう。神様の前で、自分をよく見せようと思ったり、つくろったりする必要はありません。大切なのは、自分の心に正直であること、ありのままの姿で神様と共にいることです。怒りや悲しみなどがあっても、神様は何でもご存知で、わたしたちを裁くことはありません。むしろ正直であることを、ほめてくださるでしょう。それらの感情を味わい、とどまっていると、自分の心の奥にある深い望み、また今まで気づかなかった自分を見出すかもしれません。そのような発見をとおして、神様からの呼びかけを感じることもあります。神様のみ前で、今、わたしの心は何を感じているでしょうか。それについて、わたしは神様に何と言いたいでしょうか。そんなわたしを神様はどんなふうにごらんになっているでしょうか。

(沈黙)

わたしたちの心にあるさまざまな思い、喜び、感謝、または悲しみ、怒りなどを神様にささげましょう。どのような状況になっても、わたしたちはそれぞれ守られて、この一日を終えようとしていることに感謝して、祈りましょう。

『パウロ家族の祈り』p.44

   神よ、あなたを礼拝し、心を尽くして愛します。
   わたしを造り、キリスト者とし、
   きょうも守ってくださった恵みに感謝します。
   きょう犯したわたしの過ちをゆるし、行った善を受け入れてください。
   眠っている間もわたしを守り、危険から救ってください。
   あなたの恵みが、常に、わたしと、
   わたしの愛するすべての人の上にありますように。アーメン。

聖パウロ女子修道会の初代総長、シスターテクラ・メルロは、次のように言っています。「すぐに始めること。たくさん祈ること。喜んですること。わたしはこの魂のために何をしているだろうか?」

子どもが毎日少しずつ育っていくように、わたしたちも神様の子どもとして成長していくよう、招かれています。エフェソの教会への手紙、3章14~21節には、次のように書かれています。

わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。 御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、 信仰によってあなたがたの心のうちにキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。 また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、 人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。 わたしたちのうちに働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように。アーメン。

(沈黙)

福音に登場した、耳が聞こえず、舌が回らなかった人が、イエスによって孤独から解放されました。わたしたちがどのような状態であっても、御父はいつも共にいて、関わりを持ってくださいます。ですから、わたしたちは孤独ではありません。親が子どもをいつくしむように成長を見守り、必要な恵みを与えてくださる主の愛に感謝して、歌いましょう。

「栄光から栄光へ」① ②

この祈りの時間にいただいた恵みを沈黙のうちに感謝しましょう。いただいた恵みに感謝して、主が教えてくださった祈りを唱えましょう。

祈りましょう。
父なる神よ、あなたは御子イエスをとおして、あなたの愛をわたしたちに表してくださいました。あなたの恵みを受けて、日々あなたの子として、成長していくことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。



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