アレオパゴスの祈り
アレオパゴスの祈り 2018年 5月 5日
5月6日は、第52回「世界広報の日」です。この日は、1962年~1965年にカトリック教会の刷新のために行われた、第2バチカン公会議の最初の公文書として出された「広報機関に関する教令」を記念し、全世界で毎年復活節第6主日に行われています。教皇様は、毎年この日に向けてメッセージを発表しておられます。今年のテーマは、「『真理はあなたたちを自由にする』(ヨハネ8.32)フェイクニュースと平和的ジャーナリズム」です。今日は教皇様のメッセージを聞きながら、わたしたちの生活に欠かすことのできないメディアについて考え、祈ってまいりましょう。
わたしたち一人ひとりが心に抱いている意向、祈りを必要としている人びとを神様の御手にゆだねて、しばらく思い起こしましょう。
(沈黙)
お祈りしたい意向を心の中にたずさえて、ローソクをささげましょう。ローソクを受け取り、祭壇にささげ、席にお戻りください
『典礼聖歌』No.5「あなたの いきを」① ⑩ ⑪
コミュニケーションの手段が発展し、デジタル化が進む社会の中で、わたしたちはフェイクニュースと呼ばれる「事実と異なる情報」をたびたび耳にするようになりました。教皇様は、この現象は何も近年見られることではなく、実は歴史のはじめから存在していたことを創世記の物語を通して説明しておられます。創世記3章のことばを聞きましょう。
<創世記3.1~15>
主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるようにそそのかしていた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」
女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
主なる神は、蛇に向かって言われた。
「このようなことをしたお前は、あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵(ちり)を食らう。
お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」
フランシスコ教皇の「第52回 世界広報の日」のメッセージを聞きましょう。
フェイクニュースはよく話題に上る、論議の的となることばです。それは、オンラインもしくは従来のメディアを通して事実と異なる情報が広まることを一般的に意味します。したがってこの表現は、ありもしないデータか、ゆがめられたデータに基づく根拠のない情報を指しており、その目的は読者を欺き、操りさえすることによって、一定の目標を果たしたり、政治的決断に影響を与えたり、経済的な利益を上げたりすることです。
フェイクニュースのメカニズムを見極め、阻むためには、心の底から注意深く識別する必要があります。実際、どこにでも隠れ、かみつくことのできる「蛇の論理」と呼べるものの正体を暴かなければなりません。それは、創世記に記されている「ずる賢い蛇」が用いた策略です。人類の原初の時代に、最初にフェイクニュースを流したのはこの蛇です(創世記3.1~15参照)。その策略は罪という悲劇的な結果をもたらし、その後、最初の兄弟殺し(創世記4章参照)や、神と隣人、社会、被造物に対する他のありとあらゆる悪事として具体化されました。この狡猾な「偽りの父」(ヨハネ8.44参照)の策略は、模倣すること、すなわち魅惑的な嘘で人間の心に忍び寄る、狡猾で危険な誘惑です。実際、原罪の話の中で誘惑する者は、相手のためになることを考える友のふりをしながら女に近づき、一部しか正しくないことを話し始めます。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神はいわれたのか」(創世記3.1)。実は、神がアダムに語られたのは、どの木からも食べてはいけないということではなく、たった一本の木から食べてはいけないということでした。
「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない」(創世記2.17)。女は蛇に答え、そのことを説明しようとしますが、挑発に乗ってしまいます。「園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました」(創世記3.3)。この答えには、おきてを重んじながらも悲観的になっているような気配があります。嘘つきを信用し、その説明に惑わされ、女は道を踏み外します。だからこそ「決して死ぬことはない」(3.4)と蛇が保証したとき、すぐに関心を示したのです。その後、誘惑者のまことしやかな説明が真実味を帯びます。「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」(3.5)。とうとう、敵の魅惑的な誘いにそそのかされ、幸せをもたらす父なる神の命令が信用できなくなります。「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるようにそそのかしていた」(3.6)。聖書のこの箇所は、わたしたちの考察の本質となる要素を明らかにしています。害のないフェイクニュースなどありません。それどころか、嘘を信じることにより、最悪な結果がもたらされます。わずかしか真実をゆがめていないように思えても、恐ろしい影響を与えうるのです。
実際、問題なのはわたしたちの欲望です。多くの場合、フェイクニュースはウイルスのように広まります。つまり素早く広まり、なかなか食い止められません。それはソーシャル・メディアの特徴である分かち合いの精神のためではなく、人間の心にいとも簡単にわき上がる、飽くことを知らない欲望に訴えかけるからです。フェイクニュースの経済的、日和見主義的な動機は、力をもち、所有し、楽しむことへの渇きに根ざしています。その渇きは結局、わたしたちを欺きという何よりも悲惨なもの、すなわち心の自由を盗み取るために嘘から嘘へと渡り歩く悪魔のわざの犠牲者にします。したがって、真理に向けて教育を行うことは、自分たちの中で揺れ動く欲望や気持ちを識別し、評価し、熟考するすべを教えることを意味します。そうすれば、善を見失わずに、一つひとつの誘惑に「かみつく」ことができるからです。
第52回「世界広報の日」ポスター
わたしたちは誰でも、心にさまざまな欲求を持っています。それは生きていくために必要なものではありますが、「もっと、もっと……」と必要以上に欲求を満たそうとすると、その欲求に振り回され、縛られ、自由に生きることが難しくなります。今、わたしの心の状態はどうでしょうか。沈黙のうちに、今の自分の心を見つめてみましょう。
(沈黙)
人間の歴史の中で、罪のない時代はありませんでした。しかし、父なる神は創造主としてご自分の姿に似せて創られた人間をお見捨てになることはありませんでした。そのことに感謝して祈りましょう。
父と子と聖霊である唯一にして三位の神は賛美されますように。
罪と誤りのうちにさまよう人類のそば近くに、いつもあなたはおられ、
道を示し、希望を与えてくださいました。
律法はモーセを通して示され、
恵みと真理は救い主キリストを通して与えられました。(ヨハネ1.17参照)
天のいと高きところには神に栄光、善意の人びとに平和。
道・真理・生命である師イエス、わたしたちをあわれんでください。
使徒の女王聖マリア、わたしたちのために祈ってください。
フランシスコ教皇のメッセージの続きを聞きましょう。
嘘から解放されることと、結びつきを求めることは、わたしたちのことばと行いが正確で真正で信頼に値するものとなるために欠かせない二つの要素です。真理を識別するためには、交わりと善を促すものと、その逆に孤立と分裂と敵対をもたらすものを見分けなければなりません。
嘘に対する特効薬は策略ではなく人です。つまり欲張らずに他の人に耳を傾け、真理が表れるよう誠実な対話に努める人びと、さらには善に導かれ、ことばの使い方に責任をもつ人びとです。責任が、フェイクニュースの広まりを食い止める方法であるとすれば、情報を伝える責務を担う職業、すなわち情報の番人であるジャーナリストはとりわけその責任を負います。現代社会において、ジャーナリストは仕事をこなすだけでなく、自らの真の使命を果たしています。情報があふれ、特ダネが渦巻く中、情報の核心は伝える速さでも、聴衆への反響でもなく、人びとであることを忘れないという使命を、ジャーナリストは帯びています。情報を提供することは、人を育成することであり、人びとの人生にかかわることです。だからこそ情報源を確認し、コミュニケーションを守ることは、信頼関係をはぐくみ、交わりと平和への道を切り開く善を発展させるために欠かせない真のプロセスなのです。
わたしたちのコミュニケーションが誠実なものでありますように、またジャーナリストたちが一部の人びと、特に権力者たちに優位な偽りの情報ではなく、人びとの善のために働きますように、祈りましょう。『パウロ家族の祈り』p.291、「社会的コミュニケーションのためにする祈り」をご一緒に唱えましょう。
神よ、あなたはご自分の愛を人びとに伝えるために、
ひとり子イエス・キリストを地上に遣わし、
人類の道・真理・いのちである師としてくださいました。
出版、映画、ラジオ、テレビ、視聴覚技術、すべてのメディアが
常にあなたの栄光と人びとの善益のために、用いられるようにしてください。
これらの使徒職のために召命をおこし、善意あるすべての人が、
祈りと働きと献金によって貢献するよう彼らの心を動かしてください。
教会が、社会的コミュニケーション・メディアによる使徒職を通して、
すべての人に、福音を宣べ伝えることができますように。アーメン。
5月は聖母にささげられた月です。聖母が、人びとを悪から守ってくださいますように、ご保護を求めて歌いましょう。
『典礼聖歌』p.373「天の元后・天の女王」
祈りましょう。
父である神よ、
あなたは、道・真理・いのちである御子を通して、
あなたの愛の豊かさを示してくださいました。
御子によってもたらされた福音が、
さまざまなコミュニケーションの表現手段によって世界に告げ知らせ、
すべての民に救いのメッセージがもたらされますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。
これで今晩の「アレオパゴスの祈り」を終わります。
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