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いしぶみ
2016年 7月
広島の平和記念公園のとなりに流れる本川の岸に、旧姓広島県立第二中学校の生徒と職員321人の名を刻んだ慰霊碑が建っています。原爆投下の日、子どもたちは、建物疎開の作業に動員されたこの地で、作業前の点呼を終えるところでした。労働力不足のため、中学生たちまでも作業に駆り立てられていたのでした。点呼を終えた子どもたちは、落ちてくる大きな爆弾を見つめていました。
(C) 広島テレビ
爆心地から500mにあたる地で、彼らの三分の一は即死でした。残りの三分の二のなかには、重傷を負った身体で、どうにかして家に帰った子もいますし、家族のもとにたどり着かず救護所にたどり着いたものの、亡くなった子もいます。家に帰ろうとする子どもたちと反対に、心配した親たちは、我が子を探して広島の町に入ってきました。町のなかで、我が子の最後の様子を聞いた親もいました。
あの日、少年たちに何があったのか、彼らはどのように最期を迎えたのか、遺族は、子どもたちの死をどう迎えたのか。昭和44年、広島テレビで、子どもたちの最期の様子を書き留めた手記が、杉村春子さんの朗読で「碑」というタイトルで放送されました。番組は反響を呼び、芸術祭優秀賞やギャラクシー賞などを受賞しました。その後、「碑」を見た是枝裕和監督が、「そこには、伝えることについての大胆で真摯な考察と、視聴者の想像力への信頼が溢れていました。今のテレビが牛那智つつあるこのふたつと、自分が正面から向き合ってみたい」と、綾瀬はるかを朗読者に迎えてリメイクしました。
(C) 広島テレビ
家族が綴る我が子の様子を、顔写真を写しながら、綾瀬はるかが読んでいきまます。綾瀬はるかの周囲には、無数の木箱が置かれています。木箱は、あるときはスクリーンになり、あるときは生徒のひとりひとりの存在となります。
(C) 広島テレビ
後半では、ジャーナリストの池上彰さんが、遺族や関係者へのインタビューをしており、あのときの悲劇として思い出すのではなく、今もあのときにつながっていることを示しています。
身体中が痛く、親がいない不安のなかにあっても、子どもたちの思いが実に気高く感動します。短い人生で命を絶たれた彼らの言葉を聞きながら、彼らの分も精一杯いきなくてはと思いました。語り伝えるべき記憶であり、記憶すべき朗読の映像です。