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キリシタンゆかりの地をたずねて
宮城県 登米市
大柄沢キリシタン洞窟
「大柄沢キリシタン洞窟」のある宮城県登米市東和町米川は、岩手県一関や大籠とともに、江戸時代から製鉄が盛んな地でした。
大籠に岡山から製鉄の指導に来た熱心なキリシタンの千松兄弟は、米川でも多くの人たちにキリストの教えを広め、製鉄所の発展とともにキリスト教もこの地域に広がりました。
1624年(元和10年)に仙台藩でもキリシタン迫害が始まり、米川のキリシタンたちも危険を感じ始めました。
フランシスコ・バラヤス(孫右衛門)神父は、1621(元和7)年にこの地を訪れ、宣教を続けました。この洞窟は、ミサを行うために造られたものと思われます。
洞窟の入り口付近は高さ1.3m、幅1m、奥行き10mの岩窟です。途中からその3分の2ほどに狭くなっている。かなり狭く、屈んで入っても大変な大きさです。奥には、祭壇も造られています。
1639(寛永16)年にバラヤス神父は仙台で捕縛され、江戸で殉教しました。その後、洞窟ではミサは行われず、350年間存在を知られていませんでした。
1973(昭和48)年に、発見され町文化財に指定されました。
- 住所:宮城県登米市東和町米川大柄沢1