聖パウロの遺言 ~使徒言行録20.17-38より~
パウロ年も残りわずかとなりました。教皇ベネディクト16世はこの年をはじめるに当たって、「パウロのことばに耳を傾け、現代にあってわたしたちの教師であるパウロから『信仰と真理』を学ぶため」にパウロ年を定めたと述べています。(教皇ベネディクト16世の聖ペトロ・聖パウロ使徒の祭日の前晩の祈りの講話、参照)パウロはわたしたちに、どんなメッセージを残してくれたのでしょうか。
そのヒントを使徒言行録20章17-38節に見ることができるでしょう。その一部をごいっしょに読んでみましょう。
パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。
そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。 ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」
このように話してから、パウロは皆と一緒にひざまずいて祈った。人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。人々はパウロを船まで見送りに行った。
(使徒言行録20章17-24、32、34-38節)
この箇所は、第3回宣教旅行の後半にあたり、パウロはミレトスに立ち寄っています。その後エルサレムに向かいますが、そこでユダヤ人たちに捕らえられるということを、彼は知っていました。宣教に生涯をささげたパウロは、これから自分の命をもイエスにささげるだろうと予測し、ミレトスでエフェソの長老たちを呼び寄せ、最後の別れをします。彼は、さまざまな試練に遭いながらも、どのようにみことばを宣べ伝え、自分自身の生き方をもってそれを証ししてきたことを、長老たちに告げます。
教会の司牧を長老たちに託して、パウロはこう言います。「そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。」(使徒言行録 20.32a)
パウロの回心後の歩みは、救い主であるイエスに全く自分をゆだねた人生でした。彼の宣教活動には実にさまざまな困難がありました(二コリント 11.16-33 参照)。しかし、それを乗り越えることができたのは、神がいつもともにいて、助けてくださることを確信していたからです。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(二コリント 12.9a 参照)という主の言葉が、彼を強くしたのです。
み言葉の宣教に邁進したパウロは、長老たちを通して、すべての人を神の言葉にゆだねました。「この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人びとと共に恵みを受け継がせることができるのです」。(使徒言行録 20.32b)
パウロの人生は人となったみ言葉によって変えられました。それは、決してやさしい道ではありませんが、パウロは「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」(フィリピ 4.13) と信頼のうちに走り続けました。彼は生涯を通して、み言葉が人間を父である神へと導き、まことの命を与えるものであることをあかししました。
パウロも同じことをわたしたち一人ひとりに語りかけているかもしれません。「そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。」
パウロ年は終わりますが、聖書、特にパウロの書簡をとおしてみ言葉を深めたいものです。み言葉によって養われ、社会、生活の中で神の愛を人びとと分かち合うことができますように、パウロの取り次ぎを願ってわたしたちの歩みを続けてまいりましょう。