home>第2バチカン公会議から50年>第2バチカン公会議開幕までの準備
第2バチカン公会議から50年
第2バチカン公会議開幕までの準備
ピオ11世
ヨハネ23世教皇は、聖霊降臨の大祝日にあたる1959年5月17日、公会議を準備するために、「前準備委員会」を設置することを発表なさいました。
それまで、公会議開催に対する教会内外の反応はさまざまであり、特に、教会内部のいわゆる保守派と目されていた人びとは、開催はされないだろうと見ているほどでした。
しかし、「前準備委員会」が設立されたことによって、すべての人にとって、公会議開催は現実味を帯びるものとなりました。
同年7月14日、教皇は、開催する公会議名を、「第2バチカン公会議」とする旨の発表を行いました。教皇のこの発表は、1870年に中断された第1バチカン公会議の継続ではないことをはっきり示すものであり、まったく新しいものであることを明確にしました。こうして、ヨハネ23世は、教皇が望む公会議の方向性を示したのでした。
「前準備委員会」は、何人かの意見を聞くだけではなく、全司教に公会議が取り上げるべき問題とテーマについて、自由な意見を求めました。
司教たちは、教皇が命令し、それに従うのには慣れていましたが、今回のように回答を求められたことに戸惑いを感じていました。
それでも膨大な量の回答が寄せられ、1960年7月に11のカテゴリーに分けられた54の議題にまとめられました。こうして、「前準備委員会」の役割は終わり、解散いたしました。
ついで、中央委員会と議題に対応した10の委員会からなる「準備委員会」が設置されました。公会議で取り扱うべき問題と審議するための草案を作るという仕事が、準備委員会に課せられた任務でした。
日本の土井辰雄枢機卿も、この中央委員会のメンバーに選ばれ、他の35人の委員と共に公会議のために尽力されました。
教皇は1962年2月2日、公会議開催を10月11日と定めました。
こうして徐々に、第2バチカン公会議の特徴がはっきりしてきました。
1.教皇によって「普遍的公会議」と呼ばれるもの
カトリック教会自身の「現代化(アジョルナメント)」が必要であると表明なさいました。
2.「司牧的」な性格をもつ
すべての人を兄弟として受け止め、教会のわざをとおして、善き牧者であるキリストを世にあかししたいという教皇様のお望みが表れてきました。
3.実際的な「自由」
それまでの司教たちの特徴となっていた受動性を乗り越え、司教たちこそ公会議の主体であることが求められました。
公会議の準備期間が長すぎると思われるかもしれませんが、この期間は大切でした。教皇ヨハネ23世は、よい影響を与え続け、教会内外の男性も女性も、カトリック信者もそうでないキリスト者も、司教たちも第2バチカン公会議を自分のこととして受け止めるようになったからです。
第2バチカン公会議から50年
(月刊誌「あけぼの」2012年4月号~2013年12月号 連載)
- 第1回 第2バチカン公会議50周年を迎えて
- 第2回 第2バチカン公会議開催からはや50年
- 第3回 教会刷新
- 第4回 第2ヴァチカン公会議開催50周年(前編)
- 第5回 「福音宣教推進全国会議」そして「信仰年」(後編)
- 第6回 一人一人の福音への回心
- 第7回 常に変革されるべき教会
- 第8回 公会議の教え、そして今、自らへの課題は?
- 第9回 曇りのち晴れ、のち嵐、そして……
- 第10回 国の負う十字架を分かち持て
- 第11回 第2バチカン公会議にみるカトリックの改革その1
- 第12回 刷新と反動のはざまに 第2バチカン公会議の改革その2
- 第13回 21世紀に向き合う教会 第2バチカン公会議の改革その3
- 第14回 ベネディクト16世の板挟み
- 第15回 これからの教会に望むこと
- 第16回 第2ヴァチカン公会議とその後の課題
- 第17回 第2バチカン公会議後の教会の中で
- 第18回 「無関心のグローバル化」の時代に公会議の精神を生きる
- 第19回 公会議を招集したヨハネ23世の平和への思い
- 第20回 教皇フランシスコのメッセージ
- 最終回 今教会は?