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第2バチカン公会議から50年
第2バチカン公会議の流れ
第1会期 (1962年10月11日~12月8日)
第1会期の最初に取り扱われる議題として、典礼の問題が決められました。これは、ヨハネ23世の決定によるものでした。
この議題は、これまでの典礼運動などの成果によって、十分に成熟した議題となっていたからです。議案の各章ごとに多数決で採択する形で進められました。
このような議題の進め方によって、これまで全然知らなかった司教たちも、お互いに知り合うようになり、徐々に公会議としてのまとまりを形成していきました、
第1会期で討議されたものは、典礼に関する議案、啓示の源泉に関する議案、広報機関に関する議案、教会に関する議案でした。
この最初の会期では、なんの決定にも至りませんでしたが、議論すべき十分なテーマがありました。その上、参加者一人ひとりは、それぞれの文化、経験、責任をもって貢献するという態度・姿勢に成熟していきました。
1963年6月3日 ヨハネ23世逝去
1963年初め頃から、教皇の健康状態は、悪化の一途をたどっていました。しかし、最後まで、委員会の仕事に目を通しておられました。その上、4月11日には、回勅『地上の平和』を出されました。
ちょうど、聖霊降臨の大祝日に発表された教皇ヨハネ23世逝去の知らせは、全世界の人びとに大きな衝撃を与えました。それは、彼が教皇として開催した第2バチカン公会議によって、教会に新しい時代を開き、人類の愛と一致の根源的な意味を取り戻した。
人として、これからも、公会議を導いていってくださると期待されていたからです。
教会内では、父として、師としての教皇を失った悲しみは、ヨハネ23世の死とともに、公会議が中断されてしまうのではないか、あるいは、次の教皇は、果たして公会議を続けるだろうかという心配を伴っていました。
1963年6月21日 パウロ6世教皇 選出
6月19日から21日までの短いコンクラーベによって、ミラノ大司教ジョバンニ・バプティスト・モンティーニ枢機卿が教皇に選ばれ、パウロ6世の名前を選ばれました。
彼は、ヨハネ23世を追悼する説教で、「教皇ヨハネ23世の指導力によって開かれたこの路線を、私たちは本当に放棄することができるのでしょうか。いいえ、私たちは決してこの路線を放棄することはないでしょう」と言われた枢機卿でした。
また教皇就任初のメッセージで、「教皇としての職務に最も重要な事柄は、全世界の善意ある人びとが注目している第2バチカン公会議の継続です」と述べ、はっきり、ヨハネ23世教皇が始められた第2バチカン公会議を継続していくことを断言なさいました。
第2会期 1963年9月29日~12月4日
9月29日、公会議第2期が開催され、教皇パウロ6世は、教会に関する神学の表現法、教会内の刷新、キリスト者一致の促進、現代世界との対話という4つの目標を示しました。
第2会期に討議されたものは、教会の教義憲章の議案、司教と司教区統括に関する議案、エキュメニズムに関する教令の議案でした。
第2会期の最終日である12月4日、『典礼憲章』と『広報機関に関する教令』が、公会議初の、最終的承認を得、公布されました。
『典礼憲章』は、賛成2147票、反対4票、棄権1票で承認されました。
『広報機関に関する教令』は、賛成1,960票、反対164票で可決されました。
1964年1月4日~6日 教皇パウロ6世は聖地を巡礼し、コンスタンチノポリス総主教アテナゴラスと会見
教皇がエルサレム巡礼をするという出来事は、公会議の実りの一つとしてあげられることです。
この巡礼は、公会議によって呼び覚まされた全教会への新しい働きかけとしてとらえられ、その中心には、アテナゴラス総主教との会見がおかれていました。
この訪問は、パウロ6世の全世界に教会一致への思いを伝え、アテナゴラス総主教は、この年の秋に開かれる第3会期には、オブザーバーが派遣されることになりました。
1964年1月25日 パウロ6世「典礼憲章を実行に移すための協議会」を設置
『典礼憲章』の承認後、いろいろな言語に典礼書を翻訳するときのために、ガイドラインを作成することが、不可欠なことでした。
その際、『典礼憲章』の成立に抵抗を示していた教皇庁典礼聖省に、その役割を割り当てることは、不可能なことでした。そこで、パウロ6世は、2人の有名な典礼学者を顧問として指名しました。レルカロ枢機卿とブニィーニィ神父でした。
第3会期 1964年9月14日~11月21日
1963年の初めに、草案の数を削減したにもかかわらず、第3会期で取り扱わなければならない草案は多く、内容は多岐にわたるものでした。これらの草案は、非常に込み入った日程で討議され、出席の公会議教父たちの苦しみが続きました。ある参加者は「オリンピック・マラソン」にたとえるほどでした。
第3会期で討議された議案は、教会に関する教義憲章、司教の司牧任務に関する教令、信教の自由に関する宣言、ユダヤ教徒に関する教令、神の啓示に関する教義憲章、信徒使徒職教令、司祭の役務教令、東方カトリック諸教会教令、現代世界憲章、宣教活動教令、修道生活教令、司祭養成教令、キリスト教教育宣言、婚姻の秘跡に関する教令でした。
11月21日の最終日、『教会憲章』『エキュメニズムに関する教令』『東方カトリック諸教会に関する教令』を承認し、公布しました。
『教会憲章』――賛成2,151票、反対5票
『エキュメニズムに関する教令』――賛成2137票、反対11票
『東方カトリック諸教会に関する教令』――賛成2,110票、反対39票
第3会期は、以前の2会期と比べ、激しい緊張と波乱に富んだ会期でした。しかし、その成果は、以前の2会期に始められた草案を完成に導き、現代世界と教会との関係を推し進めた点にありました。
第4会期 1965年9月14日~12月8日
第4会期で討議された議案は、信教の自由に関する宣言、現代世界憲章、啓示憲章、教会における司教の司牧任務に関する教令、修道生活の刷新・適応に関する教令、司祭の養成に関する教令、信徒使徒職に関する教令、教会の宣教活動に関する教令、司祭の役務と生活に関する教令、キリスト教的教育に関する宣言、キリスト教以外の諸宗教に関する教会の態度についての宣言でした。
10月28日 第7総会において、5つの公文書が公布されました。
『教会における司教の司牧任務に関する教令』
『修道生活の刷新・適応に関する教令』
『司祭の養成に関する教令』
『キリスト教的教育に関する宣言』
『キリスト教以外の諸宗教に関する教会の態度についての宣言』
11月18日 第8総会において、2つの公文書が公布されました。
『啓示憲章』
『信徒使徒職に関する教令』
12月7日 第9総会において、4つの公文書が公布されました。
『現代世界憲章』
『教会の宣教活動に関する教令』
『司祭の役務と生活に関する教令』
『信教の自由に関する宣言』
第2バチカン公会議から50年
(月刊誌「あけぼの」2012年4月号~2013年12月号 連載)
- 第1回 第2バチカン公会議50周年を迎えて
- 第2回 第2バチカン公会議開催からはや50年
- 第3回 教会刷新
- 第4回 第2ヴァチカン公会議開催50周年(前編)
- 第5回 「福音宣教推進全国会議」そして「信仰年」(後編)
- 第6回 一人一人の福音への回心
- 第7回 常に変革されるべき教会
- 第8回 公会議の教え、そして今、自らへの課題は?
- 第9回 曇りのち晴れ、のち嵐、そして……
- 第10回 国の負う十字架を分かち持て
- 第11回 第2バチカン公会議にみるカトリックの改革その1
- 第12回 刷新と反動のはざまに 第2バチカン公会議の改革その2
- 第13回 21世紀に向き合う教会 第2バチカン公会議の改革その3
- 第14回 ベネディクト16世の板挟み
- 第15回 これからの教会に望むこと
- 第16回 第2ヴァチカン公会議とその後の課題
- 第17回 第2バチカン公会議後の教会の中で
- 第18回 「無関心のグローバル化」の時代に公会議の精神を生きる
- 第19回 公会議を招集したヨハネ23世の平和への思い
- 第20回 教皇フランシスコのメッセージ
- 最終回 今教会は?